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Unknown Lady's Diary

読書/映画/上原專祿/フィギュアスケート/セーラームーン/ロシア

【映画】「ブリッジ・オブ・スパイ」(スピルバーグ監督、2015年、米国)感想 - Стойкий Мужик!! 不安は何の役にも立たない。

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いやもう本当におもしろかった。前半部分の「我々は何を以て自らを米国人と規定するのか?それは憲法だ」というテーマも、ドノヴァン(トム・ハンクス。弁護士役)とアベル(マーク・ライランス。スパイ役)がだんだん心を通わせていくところも、ドノヴァンが弁護士らしくキレッキレの脳みそを働かせて東独で奔走するところも、後半部分のドキドキハラハラするようなストーリーも、全部おもしろかった。「愛国」とは何なのか(星条旗への忠誠を指すのか?)などの社会的なテーマも含みつつ普通にドキドキハラハラさせられる、なんだか一粒で二度おいしいみたいな映画だった。大満足である。

スピルバーグ監督&トム・ハンクス主演なので、わたしが書かなくても色々な人が感想解説批評批判絶賛を書いているだろうから、特に自分の印象に残った部分だけを書き残しておく。

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【グルメ】大井町の「ロマーシカ」というロシア料理屋に行ってきた(2016年1月)

www.hotpepper.jp

ロシア料理って割とお高めのお店が多いんです。居酒屋というよりレストランと呼ぶべき雰囲気の店が多いというか。ロシアの文化に興味のある人間としてはもっと気軽に行ける店があったらいいのになあ…と常日頃から思っていたところ、大井町に「ロマーシカ」ができました。ここ、けっこうリーズナブルで、居酒屋風のロシア料理屋、という感じなのでオススメです。というわけで日記を書くことにしました。

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【日記】『歴史を射つ』より長野壮一「現代歴史学の出発点――社会運動史における『主体性』と『全体性』」を読んでの感想

 

歴史を射つ: 言語論的転回・文化史・パブリックヒストリー・ナショナルヒストリー

歴史を射つ: 言語論的転回・文化史・パブリックヒストリー・ナショナルヒストリー

 

はじめに、自分のブログですが自己紹介から始めます。現在わたしは研究者でも院生でも何でもない普通のOLをやっているのですが、元々は去年まで大学院に通っていて、上原專祿について修士論文を書いた人間です。上原專祿というのは戦前~戦後にかけて活躍した戦後歴史学の歴史家のひとりで、『日本国民の世界史』という世界史教科書の編者として歴史学界隈では知られています。そういう興味・関心を持っていたので、この論文の著者の彼とは(研究のレベルには雲泥の差があるのですが)親しくさせて頂いたり自分の修論の相談に乗って頂いたりしていたことがあって、今回ご高著を賜りました。ありがたや。というわけで感想を書くことにしました。(頂いたのは11月のことなのに、こんなに遅くなってごめんなさい…)

 

レビューと名づけるほどの文章はわたしには書けないので、この文章を読んで今現在のわたしが感じたことを日記にしてみます。そんな文章に需要はあるのかしらと思わなくもないのですが、でも何かしらの形で感想めいたものがオンライン上に存在していれば、いつかどこかで誰かの役に立つかもしれない…と思い、新年にかこつけて日記を書くことにした次第です。

 

この論文で論じられていることの一つは、1970年に発足した「社会運動史研究会」の発足の背景(戦後歴史学への違和感)です。戦後歴史学は「模範的な変革主体」たる「近代的人間類型」の創出を目指すもので、それに対して違和感を覚えたのが喜安朗などの歴史家(社会運動史世代)です。例えば――最もわたしが印象に残ったものですが――論文中で引用されていた、1964年のとある東大の学部生の手記は象徴的です。この学部生は戦後歴史学(の定向進化論)に魅了されるも、結局は「歴史はいわゆる健全な人たちによって書かれたもの」と感じてしまい、「ヴァイタリティに乏しくグータラで、僅かに興味を持つのは女だけ」という現実の自分と戦後歴史学の目指す「強い主体」との間に葛藤を味わってしまったそうです(381頁)。社会運動史とは、このような「戦後歴史学への違和感」から出発して「弱い主体がありのままで自発性を発露できる方法を模索した(382頁)」ものであり、その結果「いかにして普通の人びとが現代社会の中で主体的に生きることができるのか、という実存的なテーマを探究した学問(392頁)」となったのでした。

 

(本当はこの社会運動史研究会の研究内容についてもっともっと詳しく書いてあるのですが、正直わたしにとってはちょっと難しかったので要約しにくかったことと、上でも書いたようにわたしの関心が上原專祿にあることも手伝って戦後歴史学に直接かかわる部分に言及したいと思ったので、このへんで要約を終わりにします。)

 

修士論文で上原專祿について書いていてすごく感じたのは、彼の掲げてる理想はすばらしいし、理想だけでなく彼本人も一年間に何十回も講演会をしたり文章を書いたりしてて本当に精力的に活躍してて、すごく格好いいのですが、すごすぎて「遠い」んですよね。言ってること正論だけど難しいよね、ていう感じ。(いや、大学教授なんてしてるような人たちの中で私なんかが「近い」と思えるような人なんて皆無なんですけど、それを抜きにしても…)。例えば、著作集の編者あとがきの中で彼の娘が書いてたんですけど、上原專祿は「自分に弟子などいない」と言ってたらしいんです。どういうことかというと、自分の思想には世界史(像の形成)と日蓮思想の両方が関係していて、そのどちらかが欠けていてもダメだから、ということらしい。言ってることは分かるし正論なんですけど、すごく厳しいなとわたしは感じたんです。世界史だけでも大変なのに日蓮て、的な。上原專祿を師と仰ぐ人はたくさんいるというのに…(まあ本人ではなく娘さんの言なんですけど。)
わたし自身このように感じていたので――社会運動史世代の「違和感」とは違いますが、なんとなく「ふむふむなるほど」と拝むだけではいられない、というのはなんとなく肌で理解できるように感じました。

でも、「違和感」で話を終えず、それを踏まえてちゃんと別の研究にできたあたり、私からすると「社会運動史世代のみんなは十分強いよ…『弱い主体』なんかじゃないよ…『普通の人びと』なんかじゃないよ…」なんて思ってしまいます。いや、単にポジションの違い(わたしみたいなのから見たら研究者はみんなすごい)からそう見えるっていうだけで、社会運動史世代の研究者たちは戦後歴史学世代と比べて「普通の人びと/弱い主体」だと自認していたのであり、実際に「僕は弱い人間だ…」なんて中学生みたいなことを考えていたわけではないんだそういう研究をしたっていう話なんだ、という論文の主旨は理解してるんですけどね。それを踏まえた上でね。だって、先に書いた、学部生は歴史学の道に進むのをやめちゃってるから。

 

この論文は内容が難しめなので、ある程度は社会運動史や戦後歴史学などの史学史を学んでいないと理解できないと思うんですが(実際わたしには後半部分が難しかった)、こういう「この歴史家はこういう体験やこういう違和感をきっかけとして○○を研究した」という内容の文章(=要するに史学史)には、もっと自分が若かった頃(学部入りたての頃)に出会いたかったなぁと思いました。喜安朗の、(当時の左派の活動で)ビラ配りを半強制的にさせられることへの違和感を口にして、それに対して上層部の活動家が言った「工場で働く労働者のことを思え」という言葉が「前線の兵隊さんのことを思え」に重なって聞こえた、という部分(378頁)なんて大変興味深かった。「この人は現在の社会への疑問から出発して歴史を勉強したんだなあ…」というのを具体的に知ることができますよね。論文の「はじめに」ではなく、本文として。こういうの、もっと若い頃に出会いたかった。
わたしにとって歴史を勉強することは「現在との対話」であると同時に「現在の自分との対話」なんです。歴史の勉強に限らず、勉強そのもの。勉強を通じてそれまでとはちょっと違う自分になったり、逆に、自分自身について新しい発見をしたりする。だから、歴史家の研究そのものではなく人生そのものについても知りたいなあと思ったのです。その意味で私は例えば藤野裕子先生の「私と歴史学の不確かな関係」*1が大好きなんです。

 

この論文の感想文は以上で終わり。下は、これを読んで感じたことをまとめた、自分の日記(と近況)です。

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【スケート】コアマガジン社発売のリプニツカヤ本から見えてきたものーーフィギュアスケーターの「色気」をめぐる認識の違い?

コアマガジンという出版社から『銀盤の妖精 ユリア・リプニツカヤ(コアムックシリーズ)』(2015年12月)という雑誌が出版されるらしいですね。宣伝したくないのでリンクは貼りません。これを書いている現在では未発売のものですが、書影とAmazonの「内容紹介」を見るに、どうやらこれは未成年を性的に消費する類のものだということで、Twitterの自分の周りのスケートファンの間で少し話題になりました。もちろんわたしの周りでは、否定的な意見をもって、です。

 

この日記は、その時の議論を参考に、わたしが自分なりに問題をまとめたものです。「この雑誌にはこういう批判があった」という事実を後に振り返りやすい(検索等でアクセスしやすい)形で残しておくこと、そして「自分はこういう消費に抗議する人間です」という自分のスタンスを表明しておくこと、この二つの目的を持って書きました。さらに最後には、「そもそも『色気』という言葉の中身がスケート界隈とそれ以外で違うのではないか」と自分なりに考察した内容をつけ加えました。なお、全部で6000字以上あるので、かなり長文です。

 

内容は、以下の4つの項目に分けています。
1. 雑誌の概要
2. 抗議内容
3. 反対意見へのレスポンス
4. フィギュアスケートにおける「色気」とは?

 

なお、この議論については、当初Togetterを利用してまとめていました。ですが、コメント欄が次第に荒れてきたため、限定公開に変更しました。自分と反対の意見があるのは仕方ありませんが、反対意見の人たちが気持ちよく毒を吐けるサンドバッグになるつもりはありません。
元々のまとめをご覧になりたい方がいらっしゃいましたら、公開相手に設定させて頂きます。その場合、お手数ですが私のTwitterアカウントまでご連絡ください。アカウントを教えて頂ければ設定致します。

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【スケート】2011年のモスクワワールドの思い出

フィギュアスケート観戦が趣味のわたしにとって最も忘れられない世界選手権がある。2011年、モスクワでの世界選手権だ。本来、この年の世界選手権は日本で開催される予定だった。場所は東京の代々木第一体育館。しかし、3月11日の東日本大震災で中止となってしまった。そうして翌月の4月末から開催されたのが、モスクワでの世界選手権だった。

この大会は、震災で傷ついた日本に対する、あたたかな思いやりに溢れていた。本エントリーでは、以下の項目に沿って2011年モスクワ世界選手権の思い出を振り返る。

 

  1. オープニングセレモニーの演出
  2. 大会の進行スケジュール
  3. スケーターの思いやり
  4. 安藤美姫の「レクイエム」
  5. エキシビションのフィナーレ
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【映画】「ヒトラー暗殺、13分の誤算」(オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督、2015年、ドイツ)

残念だけど、主人公に1ミリも感情移入できない映画だった。映画で言いたいことは分かるんだけど、主人公の思想や行動の背景説明が弱いように感じた。共産党員でも何でもない「普通の人」がヒトラー暗殺を試みた、という設定(じゃなくて事実なんだけど)がおもしろすぎて、その情報だけで自分なりに色々と想像したくなってしまうくらいだから、わたしが期待しすぎていたゆえにつまらなく感じてしまった、というだけかもしれないけど。

 
※以下はちょっとだけネタバレありストーリー概要。

【映画】「顔のないヒトラーたち」(2014年、ドイツ、ジュリオ・リッチャレッリ監督)感想

※前半にネタバレ「なし」感想、後半にネタバレ「あり」感想を書きます。

 

すごくおもしろかったー。社会派かつちょっとエンタメ、という映画でした。
見る前は、あえてカテゴライズするならこの映画は社会派のそれだと思ってたのですが、フタを開けてみたら、日本の刑事もの(or検事もの?)ドラマを思わせるような(言ってしまえば、ベタな)展開もあって、想像してたよりエンタメエンタメしてました。そういう展開の中には、正直に言って、ちょっと文句を言いたくなるような部分もありました。
ただ、そういう軽い部分があるおかげで、他人におすすめしやすい映画になってると感じました。例えば「いかにもテーマの重そうな映画」をあまり好まないような友人に対して、「重いけど、タイトルから想像するより分かりやすいし見やすいよ」とオススメできるだろうなあ、と。わたしは高校の世界史の先生になりたいと思っていたので(今は目指すのやめちゃったけど)、元々こういう「楽しく観れて勉強にもなる」映画はすごく好きなのです。
というわけで、映画「顔のないヒトラーたち」、わたしはすごくおすすめです~。東京ではそろそろ終わり?のようだけど、全国ではこれから上映されるところもあるみたいですよ。

 

以下、続きは内容についての感想。基本的にネタバレはないよ。


まずは主人公について。「顔のないヒトラーたち」は社会派の映画であると同時に若者の成長ストーリーでもあるんですよね。そこがわたしの「エンタメ」だと感じた理由です。というわけで主人公のラドマン検事がわたしにとってはすごく魅力的でした。彼は優秀で真面目、正義感もある。彼の言うことは正しいんですよね。なんてったって検事ですから。でも、彼は正しいがゆえに周囲から受け入れられないんです。正論を武器にすると嫌われちゃうんですよね。真面目な若者あるあるですね。そんな彼が、どのように周囲から影響を受けて、「正しさ」を維持しつつもう少し広い視野を持って物事を捉えられるようになるのか。現在26歳のわたしは、まさに若者から大人になろうとしている年齢なので、色々と身につまされながら見ていました。

それと、若い知識人の孤独、みたいなものが描かれていたのもわたしには興味深かったです。話は飛ぶのですが、真面目で優秀で正義感に燃える若者、と言われるとわたしは19世紀ロシアの若いインテリゲンツィア(ナロードニキとかの)を思い出します。彼らは「インテリゲンツィア」の名の通り、教養があって、なおかつ社会を変革する正義感に溢れた人たちなんです。だからこそ彼らはロシア社会から「疎外」される存在でした。民衆のために社会を変えようとしますが、彼らは民衆自身ではないし、かといってロシアの悲哀を知ってしまったからには貴族にもなれない。例えばこういうインテリゲンツィアのように、改革を志向する知識人たちって基本的に社会全体からするとマイノリティであることが多いよなあとわたしは考えてるんです。それは日本でも同じです。そんなわけで、正論すぎて孤独になってしまった人がどのように変わるのか、が描かれる映画というのはわたしにとってすごく面白かったのでした。

 

次は、映画の社会的テーマについて。

この映画で扱われている「アウシュビッツ裁判」(1963年12月~)とは、「ドイツの司法当局がナチスの犯罪者を裁く」もの、つまり「ドイツ人がドイツ人自身を裁く」裁判でした。1945年に開かれたニュルンベルク国際軍事裁判が戦勝国による裁判だったのとは、そこが違います。映画の中でも、ここに大きな意味があるのだ、と主人公のヨハン・ラドマン検事が興奮気味に強調するシーンがあります。
日本とドイツの戦後処理の大きな違いは、戦前・戦中の社会との決別の度合いなんですよね。例えば、戦前・戦中と戦後の政治家に連続性があるかどうかとか…。自分の国の歴史を誇りに思えるかどうか云々の話題がありますが(詳しく書くのは面倒なので察してほしい)、「あれは悪くなかった」方式ではなく「あれは確かに悪かった」方式で過去を受けとめられた歴史が自分の国に存在していることは、すごく誇りに思えることだと思います。あまり国単位でこういうことを言うのは好きじゃないんですが、それでもあえて言いたくなります。ドイツがうらやましい…。
(※映画の本筋とは関係ないのですが、「ドイツ人がドイツ人を裁く」戦犯裁判は、第一次世界大戦のあとのライプツィヒ裁判もそうだったと記憶しています。大戦中の戦争犯罪を革命後のドイツ共和制政府が裁いたやつです。ただ、わたしが大学の授業で習った内容では、この裁判の結果は連合国側から「茶番」と言われるくらいあまり厳しくなかったらしいのですが。そのこのあたりのドイツ戦争犯罪史ってどういう風に言われてるんでしょう…調べたかったけど、時間がなかったので今後の課題としたいです←よくあるレポートのまとめ方。笑)
ただ、この映画では、その過程がけして簡単なことではなかったことがよく分かります。そもそも、過去と決別しようとしている主人公はとても若い人なので、決別すべき(直接の)当事者というわけじゃないんですよね。本人じゃないから、厳しい態度で臨める。だからこそ推し進められた裁判だけど、だからこその難しさもある。*1そのへんを、文章ではなくストーリーで表現できてるのがおもしろかった。

 

同時に、この裁判はそれまでの裁判に比べると、より「被害者」に目が向けられた裁判でした。例えば、ニュルンベルク裁判では、証人として呼ばれたのは圧倒的に加害者のほうが多かったのだそうです。それに対して、1961年のアイヒマン裁判は証人として被害者の声が反映されたものでした。つまり、アウシュビッツ裁判の頃(1963年)は、ドイツの人々が過去と対峙する際に「被害者」の存在に目を向け始めた時期だったといえるのでしょう。この映画の中でも、ラドマン検事が抱える悩みへの答えとして、「裁くことではなく被害者の声に目を向けること」が提示されます。その、向き合っているシーンは、観ていてすごく辛かった…観てから一週間以上が経った今になってそのシーンを思い出してもちょっと涙ぐんでしまう…。

 

最後に、「顔のないヒトラーたち」というタイトルについて。映画の中に、裁かれるべき容疑者が今は普通の人として街に溶け込んでいるだけでなく、裁かれるべき容疑者以外の人々が「過去を掘り起こすな」と説くところがあります。「顔のないヒトラー」は、前者だけでなく後者のことも指しているのだろうなと思いました。少し前の映画「ハンナ・アーレント」も同じようなテーマでしたね。アイヒマンは1960年に逮捕されて1962年に絞首刑となったので、同じ時代です。わたしの大学の先生はアイヒマン裁判の時代を「過去の克服」の谷間の時代である、と表現していました。イスラエルとの補償問題が解決した頃であったにもかかわらず、アイヒマン裁判で再び過去に体面することになった時代である*2、と。同じ時代の同じテーマの映画がここ数年で続いてるのって興味深いですよね。

 

以下はネタバレ含む感想を箇条書きします。

*1:映画の中に出てきた「若い世代が、父に犯罪者かと問うこと」という言葉が印象的でした。

*2:東京女子大学の芝健介先生です。

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