先月、旭川へ旅行して興味を持った三浦綾子の小説。すごく面白かったです。
1924年〜戦後の北海道・サロベツ原野*1と日本統治時代の樺太(サハリン)が舞台の話。基本的なストーリーは男女の恋愛だけど、作中で20年が経過するので、最終的には恋愛だけではなく人間を描いていると思う。
人間模様だけでなく昔の北海道やサハリンの暮らしぶりが細やかに描かれていたのも面白かった。個人的にサハリンは旅行したことがある場所なので、ものすごく景気が良かったという日本時代*2を具体的にイメージできる小説に出会えて良かった。稚内を出て8時間も船に揺られて大泊(コルサコフ)に着いてまたさらに電車に乗ると豊原(ユジノサハリンスク)に着いて…そこからまたさらに北に北にサハリンは延びていて…みたいな距離感と生活感が伝わって良かった。サハリンへ旅行するときは「昔は日本人もたくさん住んでいた場所、当時の日本にとっては北の果て」みたいな貧相なイメージしかなかったので、行く前に読んでおきたかった本だなあ…
ちなみにこの小説の描写によると冬のサハリンの定時は10時〜15時らしいですよ。緯度が高いので、15時には仕事を終えないと暗くなっちゃうんだって。その労働時間で景気も良いなんて天国じゃない?
先日札幌へ帰省した際に開拓の村*3へ行ったのだけど、そこにも展示されていた林業従事者のための飯場(宿泊小屋)や鰊御殿(漁業従事者のための宿泊小屋兼親方?の屋敷)なんかも出てきて、しかも描写がされる間取りが開拓村にあった建物そっくりで、個人的にタイムリーなものだったので面白かった。
作者の三浦綾子はクリスチャンで、キリスト教の考え方が土台になっているので、そのへんが合わない人には合わないかも…わたしはキリスト教に興味があるので面白かった。文体はとっても読みやすかったのでさくさく読めた。
以下はネタバレありの読んだことある人向けの感想。
孝介の「一度も人を傷付けずに生きる人間などいない」という言葉にぎゅっと集約されている話だと思う。物語の中心となる貴乃・孝介・完治・あき子はみんな誰かを傷付けたんだよね。
完治は3人を、孝介はあき子を傷付けた。
貴乃とあき子は何もしていないのだけど、二人とも自分の存在そのものがお互いを傷付けたと言えると思う。あき子は兄・完治の妹であるということで罪を感じていたし、貴乃は一番何にもしていない(あき子の目の前であてつけるように孝介と親しくしたことすらない)けど、孝介が貴乃を愛していることであき子が傷付いたんだから貴乃は無関係ではない。自分が傷付けようと思っていたかどうかにかかわらず、生きてるだけで誰かを傷付けるんだよね。だから謙虚に生きなきゃというわけではなく、ものすごく控えめで自分を抑えて抑えて生きていた貴乃ですら結果的にあき子を傷付けてしまったのだから(あき子さ貴乃を恨んではいないだろうけど)、謙虚に生きればいいという話でもない気がする。
キリスト教の考え方で私が一番納得いかないのが原罪だったんだけど(なんでわたし自身がルール違反をしたわけでもないのにアダムとイブが知恵の実を食べたからって人類罪深いって言われなきゃならないんだと)、アダムとイブなんて言われるとよく分からないけど、生きてるだけで人は誰かを傷付けていると言われたらなんとなく納得できる。それは本当にそうだと思うから。
敗戦後の引き揚げは本当に痛ましかった。でもまだそのあたり、戦争に関する部分はまだちょっと感想として消化しきれない。
でも反抗期の頃はすごく嫌なやつだった加津夫が最終的には好青年に成長してくれててちょっと救われた。大人になったら完治には似なかったようで安心した。悲しいこともたくさんあるし、生きてるだけで誰かを傷付けるというのは気分が重くなる話だけど、生きてれば悪いことだけじゃなく良いこともあるもんだよね。