@AZUSACHKA 's note

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【スケート】コアマガジン社発売のリプニツカヤ本から見えてきたものーーフィギュアスケーターの「色気」をめぐる認識の違い?

コアマガジンという出版社から『銀盤の妖精 ユリア・リプニツカヤ(コアムックシリーズ)』(2015年12月)という雑誌が出版されるらしいですね。宣伝したくないのでリンクは貼りません。これを書いている現在では未発売のものですが、書影とAmazonの「内容紹介」を見るに、どうやらこれは未成年を性的に消費する類のものだということで、Twitterの自分の周りのスケートファンの間で少し話題になりました。もちろんわたしの周りでは、否定的な意見をもって、です。

 

この日記は、その時の議論を参考に、わたしが自分なりに問題をまとめたものです。「この雑誌にはこういう批判があった」という事実を後に振り返りやすい(検索等でアクセスしやすい)形で残しておくこと、そして「自分はこういう消費に抗議する人間です」という自分のスタンスを表明しておくこと、この二つの目的を持って書きました。さらに最後には、「そもそも『色気』という言葉の中身がスケート界隈とそれ以外で違うのではないか」と自分なりに考察した内容をつけ加えました。なお、全部で6000字以上あるので、かなり長文です。

 

内容は、以下の4つの項目に分けています。
1. 雑誌の概要
2. 抗議内容
3. 反対意見へのレスポンス
4. フィギュアスケートにおける「色気」とは?

 

なお、この議論については、当初Togetterを利用してまとめていました。ですが、コメント欄が次第に荒れてきたため、限定公開に変更しました。自分と反対の意見があるのは仕方ありませんが、反対意見の人たちが気持ちよく毒を吐けるサンドバッグになるつもりはありません。
元々のまとめをご覧になりたい方がいらっしゃいましたら、公開相手に設定させて頂きます。その場合、お手数ですが私のTwitterアカウントまでご連絡ください。アカウントを教えて頂ければ設定致します。

 

1. 雑誌の概要

 

雑誌の内容については未発売のため分かりません。そのため、ここでは雑誌の書影と内容紹介から見えてくる内容だけを対象にします。*1ただし、これはあくまで発売前の情報から見えてくるものを利用した「予想」に過ぎないので、結果的に内容がきちんとしたものだったら――表紙の文面や内容紹介から感じられるものとは違い、アスリートとしてスケーターをリスペクトしているものであれば、その時はこの記事を消して改めて謝罪文を掲載いたします。できれば、わたしのこの日記における怒りが徒労に終わることを願っています…。

 

この雑誌を「スケーターをアスリートとして紹介するものではない」と感じた主な部分は二つあります。
第一に、愛称。表紙や内容紹介において、リプニツカヤを「リプたん」、ラジオノワを「ラジ子」、メドベージェワを「メド兵衛」、ポゴリラヤを「ポゴちゃん」、トゥクタムィシェワを「タクタミ」と雑誌は呼んでいます。どれもTwitterなどでよく見られる呼び方です(※メド兵衛を除く)から、この呼び方そのものには何の問題もありません。しかし、例えば『Number』や『WORLD FIGURESKATING』等の雑誌が選手を愛称で呼ぶことはあるでしょうか。選手を選手として扱う雑誌では、選手を愛称で表記しないのです。
第二に、煽り文句の内容。例えばポゴリラヤについては「ポゴちゃん強ぇ!ワイルド系美少女、ゴリラってゆうな!!」という紹介文が添えられています。10代の少女に対して「ゴリラ」ですか。いえ、老若男女だれであっても「ゴリラ」と言われて嬉しい人なんてほとんどいないでしょう。中にはそういう人もいるかもしれませんが。最近はイケメンゴリラなんてのもいるようですし。さらに「ゆうな!!」という頭の悪そうな言葉遣い。まるで「10代の少女は頭が空っぽであってほしい」とでも言っているようです。

 

また、発売元であるコアマガジン社の出版物の傾向から見ても、スケーターをアスリートとして扱っているものではなさそうな臭いがぷんぷんします。「発売元の出版社がどういうところか知っているかどうかで反応が変わる」という意見を見たのですが、その通りでした。Googleで「コアマガジン」と検索すると、社のウェブサイトへのリンクの下に「サブカル・アイドル・グラビア・コミック・素人投稿・PCゲーム・BLなどを取り扱う総合娯楽出版社」という説明文が出てきます。わたしはこの出版社を今まで全く知らなかったのですが、なーんだ、そもそもスポーツを扱ってる出版社ではなく、そもそもそっち方面の出版社なんですね。
スポーツを扱っているわけではない雑誌がフィギュアスケートを取りあげることはよくあります。例えば『家庭画報』にフィギュアスケートでよく使われるクラシック音楽を集めたCDの付録がついたことがあります。しかし、今回の出版元はどうもそういう趣きではない。

 

しかも以前には羽生結弦特集の雑誌(『LOVE!!日本男子フィギュア シーズン直前観戦マニュアル(コアムックシリーズ)』)も発売していたらしいです。羽生結弦ファンの「まき」さんという方が、ご自身のブログにおいて次の点を指摘しています。例えば、付録の巨大ポスターについて「大きいということ以外、評価できる点は無い」「なぜ、これ(この写真を)選んだのかわからない」等とクオリティの低さを述べています。さらに選手名鑑のコーナーについて、このムック本は「結弦くんも含めた日本選手の演技動画すら見もせずに書いていることは、ちょっと文章を読めば一目瞭然.酷いもの」としたうえで「この頁は、さらに酷い」としており、選手の紹介写真の中には「後頭部しか映っていない」写真を使っているものがある、等の指摘をしています。*2

 

さらに言えば、表紙の写真のセレクトからも、この雑誌はスケーターをアスリートとして扱っていないかもしれない――もっと突っ込んで言えば、おそらく性的な目線で取り上げているのだろう…と感じざるを得ません。まず、表紙のリプニツカヤの写真は、今シーズンの彼女ではなく、2シーズン前の「シンドラーのリスト」のときの写真です。たしかに、あのプログラムと衣装はスケートファン以外の人々の間でも話題になりましたから、ものの売り方としては正しいのかもしれません。でも、スケート雑誌なら、まさか2シーズンも前の写真を使うことはありません。シーズンイン前の段階で昨シーズンの写真を使うのはよくあることですが、普通、シーズンインしてからはそのシーズンの写真を使います。この時点で「この雑誌はスポーツ雑誌ではない」と予想できます。さらに、表紙の写真のポージング。彼女にはもっと良い写真があるはずなのに、なぜこの構図*3なのか。

 

というわけで、出版元の会社の傾向からして、どうやらこの雑誌はスケーターをアスリートとして扱う雑誌ではない、という予感がスケートファンの間に広がったのでした。

そもそもフィギュアスケートってそういう目で見られることも多いですから、こういったアスリートの性的消費に対して問題意識を持っていたスケートファンも多いのかもしれません。特に私の場合、このブログでも度々言及していますが、大好きなスケーターのひとりが安藤美姫さんだったので、こういう被害に遭うことは少なくなく、個人的にも以前から問題意識があったのです。

なんだか、改めて、自分で書いてて悲しくなってきました。

重ねて書きますが、できればわたしの怒りは杞憂に終わってほしいと思っています。予想に反して、きちんとスポーツ目線で編集された雑誌であってほしいです。美少女写真集、と期待して買った人たちをがっかりさせるくらいすばらしいスケート雑誌なのであれば、それが一番良いのです。そうであることを願っています。

 

2. 抗議内容

 

「性的欲求は誰にでもある」ことをわたしは否定しません。この人はとても自分を性的に刺激する…そう感じるのは個人の自由です。10代の少女にそういう目を向けることは褒められたものではありませんが、本人の中だけで処理しているなら誰も何も言いません。

 

でも、私は「性的欲求を誰にでも向けてよい」とは思いません。今回は10代の女性アスリートを話題に取り上げましたが、これは大人の女性でも、少年でも、もちろん青年であっても同じです。

 

「性的欲求を向ける」というのは、本人に直接伝えることだけでなく、性的欲求を向けていることを多くの人が目に触れる場所で発露することも含む、と私は思っています。つまり、ロシアの若手スケーターに発情するのは個人の自由ですが、それを本人たちにも見え得る場所や多くの他人の前でさらけ出すのは「越えちゃいけないライン」を越えることだと私は思うのです。

 

想像してみてください。昨今のスケート人気により、最近、フィギュアスケートの雑誌はとてもたくさんあります。大きめの本屋さんへ行くと、スケート関連の本・雑誌などだけで一つの棚を占めていることもあります。きっとこの本も、その中に並べられることでしょう。もしかすると青年雑誌のコーナーだけに並ぶかもしれませんけど(そうであることを願っています)。浅田真央リプニツカヤに憧れる少女がこの本を手に取ったらどう感じるでしょう。スケートを習っている子どもを持つ親がこの本を見たらどう思うでしょう。インターネット上のSNSという、アクセスするのにある程度のハードルの存在する場所ではなく、誰でも行ける本屋さんにこの本が並べられるということ。それは、遠回しに誰かを傷つけることになるのです。それはもう、「自分の中だけで勝手に消費している」とは言えない、と私は思うのです。

 

もう一度言います。誰かに性的欲求を抱いたとき、あなたの中で処理するだけなら、誰も傷つけません。でもそれを他人の前でひけらかすと、誰かを傷つけることになる可能性があるのです。

 

3. togetterに寄せられた反対意見への解答

 

冒頭でも書いた通り、Togetterにまとめたらコメント欄が荒れました。一人一人にリプライを返すほどヒマではないし、相手をする義理はないし、気になるコメントにはけっこうテンプレート的なものもあったので、ここで4つだけ反応しようと思います。

 

その1「じゃあ男性スケーターを性的に消費するのはいいの?」(この問題に触れるのならこっちの問題にも触れろ方式ですね)

→ダメに決まってます。ただ、人間の時間には限りがあるので、たまたま今回は言及してないだけです。

 

その2「その程度の性的な視点は当たり前に誰にだって向ける。自分が気に入らない奴の視線だけを『性的』と感じているのでは?」

→未成年を性的に搾取する視線を気に入る人がいるんでしょうか。それに「誰もが」「誰にでも」向けているわけではありません。そういうことをしない、分別を持った人間は、インターネットの外にはたくさんいますよ。

 

その3「(togetterでまとめると)逆に宣伝になるのでは?」

→例えば世間であまり認知されていない政策があったとして、その政策を批判したら「宣伝」になるのでしょうか。黙っているままでは、問題が明らかになりません。また、「つぶやき」という後に参照しにくい状態のままでは、批判があった事実を後から知りにくいと思います。問題を可視化するのは大切なことではありませんか?

※個人的に100回RTしたいと思った意見→ https://twitter.com/DrewwLzDance/status/669533577160167424

 

その4「ヒステリー」

→他人の怒りに対して「ヒステリー」と茶化しておくとそれだけで勝った気になれるんですよね。

 

4. フィギュアスケートにおける「色気」とは?

 

さて、以下はわたしなりの考察です。
Togetterに寄せられた否定的なコメントの中で、ひとつ引っかかるものがありました。「フィギュアスケートは未成年のアスリートに性的魅力を強調する衣装を着せて演技させる競技なのに、その性的魅力の評価を禁止するのは歪んでいる」というものです。わたしはこのコメントに強い違和感を覚えました。

 

※本題を述べる前に、このコメントの基本的な間違いを指摘しておきますが、フィギュアスケートという競技に、その選手の性的な魅力を評価する項目はありません。そもそも「演技構成点」――しばしば「芸術点」と間違えられますが――は「スケーティング技術(Skating Skills :SS)」「要素のつなぎ(Transitions/Linking Toodwork :TL)」「演技と実行(Performance/Execution :PE)*4」「振付/構成(Choreography/Composition :CC)」「音楽の解釈(Interpretation :IN)」という5つの項目から構成されています。表現の内容を評価する項目はありますが、選手のスタイルや容姿を評価する項目はありません。※演技構成点については、Number Webのこちらのコラムが分かりやすいので参考までにリンクを貼っておきます -

フィギュア採点の最難関を徹底解説!ソチ演技で見る「演技構成点」とは。 - フィギュア - Number Web - ナンバー

 

フィギュアスケートにおける「性的魅力」について、ここでは「色気」という言葉を使うことにします。
この「色気」という使い方でとても興味深かったのが、髙橋大輔が本田真凜について次のように述べた内容。「ちょっとした体の動かし方が…色っぽさがあるとか、雰囲気とかですね、なかなか教えられてできるものではないので、やはりトップに来る選手は、なにかしら魅力的な、目を引くものを持っているなと思います」*5髙橋大輔が本田真凜を「色っぽい」と表現したのです。

 

ここから私が感じられたのは、スケートについて語るときに出てくる「色気がある・色っぽい」という言葉は「セックスの対象にしたい」ではなく「その人の性別らしさを強く感じられる」という広い意味を持ってるのかもしれない、ということです。髙橋大輔の「本田真凜は色っぽい」を前者のような意味でしか捉えていないと、ちょっと変な意味になってしまいますよね?「色っぽい」はおそらく「美しい」という意味なんだろうな、と私は思うんです。セックスアピールではなく、その人の持って生まれた肉体の美しさを表現する、みたいな。
ちょっとこれ以上うまいこと表現する言葉が私には見つからないんですけど、どうでしょう。伝わりますか、これ。

だいたい、女性スケーターの衣装や演技が全て異性(あるいは同性が性の対象の同性)に向けたセックスアピールでしかないのなら、そもそもこれだけ女性ファンが多いわけありません。

このあたりが、スケーターおよびスケートファンとそうではない人の認識の違いなのかな、と私は上のコメントを読んでいて感じたのでした。べつにスケートファン以外の人の認識をバカにしてるわけではありません。誰にだって知らない世界はあるのだし。ただ、フィギュアスケーターが追い求めている(ものの一つの)美しさが、こういった認識のズレによって結果的に性的な消費をされているのなら、それはすごく悲しいな、と思ったのでした。

*1:雑誌の中身も分からないのに批判するのか、という指摘がとんできそうですね。その指摘は真っ当なのですが、正直そんなに日をまたぐと自分の中で日記を書くモチベーションの優先順位が下がってしまいそうなので、今回は早めに書くことを優先します。

*2:http://ameblo.jp/tuk-masa/entry-12086931381.html 最終アクセス2015/11/29

*3:指摘するのさえ憚られるので注で書きますが、短いスカートから見えるレオタードの部分や肌色のタイツに覆われた足を強調するような写真に、わたしには見えます。リプニツカヤはポージングもきれいなので他にいくらでも良い写真はあるはずなんです。キャンドルスピンだって有名です。

*4:Wikipediaでは「動作/身のこなし」と翻訳されているので参考までに https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%8E%A1%E7%82%B9%E6%B3%95#.E6.A7.8B.E6.88.90.E7.82.B9

*5:2015/3/14放送、「フィギュア新・星・輝~スケートにかける本田家の絆」より