@AZUSACHKA 's note

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『ジャッカ・ドフ二 海の記憶の物語』感想 - 海が繋ぐマイノリティの歴史

 

 

サハリンや北海道を舞台にした小説が読みたい、と人に話したらおすすめされた本。予想してたよりはサハリンも北海道も出てこなかったけど、初めて知る歴史にたくさん触れられて面白かった。 

 

日本の歴史でいうと江戸時代の話。アイヌの歴史でいうとシャクシャインの戦いの頃。主人公・チカップ(愛称はチカ)は和人男性とアイヌ女性の間に生まれた子ども。生まれたときは松前藩内に暮らしていたのだけど、色々あって船で旅をするようになり、長崎にたどり着き、それからマカオに住むようになり、最終的にはジャカルタで暮らすようになる。

 

主人公のチカップアイヌにルーツがあるけれど、蝦夷地で暮らしたことはないし、日本で暮らした時期も短い。だからサハリンも北海道もほとんど小説内には出てこない。

 

ただ、この小説はちょっと珍しい構造になっていて、
①チカップの人生パート
②作者の私小説パート
↑この②パートで作者(と思われる登場人物)が「ジャッカ・ドフニ」という資料館を訪れたときの様子が描かれている。

 

「ジャッカ・ドフニ」とは網走市に実在した施設で、北方少数民族の資料を展示していた資料館であり、その館長をサハリンのウィルタ民族出身のダーヒンニェニ・ゲンダーヌ氏(日本支配時代の樺太に生まれた)が務めていた。

 

①チカップの人生パートの話に戻ると、チカップが暮らしたマカオには多様なマイノリティが暮らしていた。キリシタンとして生きるために亡命した日本人、朝鮮にルーツのある人、イタリアにルーツのある人、アフリカにルーツのある人。みんなミックスレイシャルあるいはインターナショナルなルーツを持っている。

①チカップのパートと②私小説パートの繋がりがちょっと分かりにくいんだけど、つまりこの小説は「周縁」にいる人々を描いたものなんだと思う。日本支配時代の樺太出身のウィルタアイヌと和人の間に生まれた女性、江戸時代におけるキリシタンなど、抑圧されてきた存在ばかりが出てきた。

 

と、ここまで小説の構造について話してきたけど、肝心のストーリーについてはまだちょっと飲み込めていない。海が繋ぐマイノリティの物語はとても興味深かったけど、何かに感動するとか、考えさせるとか、そういう感じの小説ではなかった。でも人生って普通はそうだよね。とても辛い出来事に遭遇したら「これは〇〇のために必要な出会いだったんだ」と”記憶”を”物語”にすることがあるけど、そういう乗り越え方に自分自身も救われつつ、同時にモヤモヤする気持ちもある。なんでそういう風に思うのかは言語化できてないんだけど…

最近このブログに書いた記事は『鬼滅の刃』と『また、桜の国で』について書いたものだったんだけど(リンク参照)、この2つが「辛い出来事を”物語”にすることで乗り越える」系の物語(?)だったので、また違うタイプの小説が読めて良かった。