@AZUSACHKA 's note

わたしの感想をわたしが読みたい。

文学だからこそ残せる歴史がある - 『戦争は女の顔をしていない』感想

主催している読書会(フェミニズム読史会)で『戦争は女の顔をしていない』を取り上げました。読書会が発足した2020年4月からずっとやりたいと思っていたものの、当時わたしたちはフェミニズム初学者だったので、証言文学だけで論点を見つけるのは難しいのでは…という理由で控えていた本だった。それが先月(2021年8月)、Eテレの「100分de名著」にて取り上げられたことで論点やポイントも読み取りやすくなるのではと思い、読書会で取り扱いをしてみた次第。
 
以前一度感想を書いたのだけど、改めて書き直したくなったので新しい感想を書きました。
 
関連書籍も含めて、以下の3点を読みました。

 

ソ連社会における女性差別と抑圧

フェミニズムを学ぶ人間としてまず言及したいのは、この本がソ連社会における女性差別を告発する内容になっている点。ソ連では制度上の男女平等が掲げられており、戦争で多くの男性が亡くなったことで女性が労働力の主要な担い手にもなっていた。しかし、それが見かけ上の「男女平等」でしかなかったことが本書を通じてよく分かる。例えば「自分は女性だけど軍隊で男性並みに戦えるのだ」と女性兵士がもがいた話、女性も兵士として採用されたのに女性用の軍服や軍靴がなかった話、そのように苦労して従軍したにもかかわらず元兵士の女性たちが戦後受けた差別の話など。多くの証言が、ソ連社会における女性の生きづらさや、建前と現実が乖離するソ連社会のダブルスタンダードを示している。
また、ソ連社会において独ソ戦は英雄的な戦争体験の語りばかりが求められてきたが、その悲惨さについては女性が証言したことでようやく言及されたのだ、ということもこの本を読むと伝わってくる。当時はスターリン体制だったので、英雄的ではない・勇ましくない戦争体験は求められていなかった、と作中でも言及されている。これは「弱さや悲しさを語るハードルは女性のほうが低い」ということだったのかな、と私は思った。男性は「男性らしさ」という抑圧に縛られて弱さを表現しにくい面があるよね。その抑圧はいずれ打倒しなくちゃいけないんだけど、なにはともあれ、ソ連社会では女性が語ったからこそ独ソ戦の悲惨さが記録に残った。
 

戦場における「女性らしさ」

一方、さすがに1980年代という時代の限界かな…という部分もあった。女性たちにインタビューすると、戦争中の話であっても女性らしい日常や「美しさ」について言及するのだ、それは「女性としての存在の根絶できない部分」なのだ、とアレクシエーヴィチが指摘する部分。ここには(当時の)アレクシエーヴィチが抱くステレオタイプな女性像を感じてしまう。
彼女たちは喜んでこういう娘らしい工夫や、小さな内緒事、表立っては見えないちょっとしたことについて生き生きと話してくれた。戦時の「男向きの」日常で、「男がやること」である戦争のただ中でも自分らしさを残しておきたかったことを。女性の本性にそむきたくない、という思い。彼女たちは何といっても四十年もたっているのに驚くほどたくさんの細々した戦時の日常を記憶していた。実にさまざまなディテール、ニュアンス、色合い、そして音をその日常と女性であるという存在が切れ目なくぴったり身を寄せ合っていて、女性であった時間の流れが意味を持っていた。戦争を思い出す時も、何かそこに出来事があったというよりは、人生の流れのなかのひとつの時期のように思い出す。いくどとなく気づいたのだが、彼女たちと話していると、小さなことが大きなことに勝っていて、時にそれは歴史全体より勝ることもあった。*1
この部分について、『100分』内で沼野恭子さんは以下のように指摘する。
当時のソ連の「男女平等」は、「女性も男性と一緒に同じだけ働くべし」という意味での「平等」でした。女性の大部分が職業に就いていたので、一見すると男女平等が実現しているようにも思えるのですが、職場で女性の昇進が保証されているわけではありません。一方で、育児や家事は、旧来のまま女性の役目とされていました。つまり、女性は男性と同様に労働者として働きながら、同時に、良い妻や賢い母でいなければならない、という二重の負担を強いられることになったのです。 この建前上の男女平等と、女性らしさを求める社会規範の二重性が、そのまま戦場にも持ち込まれ、女性が「男と同じように戦い、美しく優しいままでいる」ことを求められていたように思えてなりません。*2
 
この指摘、わたしは胸にストンと落ちた。アレクシエーヴィチが聞き取りを始めたのは1978年、最初に出版されたのは1985年のこと。30年以上も昔のことだから、さすがに時代の限界だったのかなと思う。(アレクシェーヴィチほどの人であれば、もしかして今ならまた違う書き方をするかもね)
この部分、私なりの解釈では、「女性らしさ」ではなく「人間らしさ」と置き換えたらすんなり納得できるかな。戦争は、人の体だけでなく心も壊すんだよね。例えば、軍に新兵が入隊したら、まずその人の人格を破壊するところから訓練が始まるらしい*3。暴力や人格否定などを通じて服従の心を植え付けるんだよね。それに、戦場は女性のもの(例えば生理用品や女性の足に合ったサイズの軍靴など)があまりなく、武器だって男性の体格に合わせて作られている。だから、女性らしいスカートや銃に添えたスミレの花は、戦争と相反する象徴であるともいえる。それは戦争に行く前の自分を思い出すよすがになり得るし、(人間性を破壊してしまう)戦場において自分の心を失わないようにするためのものにもなり得る。
少し話は変わるけど、入隊にあたって女性が長いお下げ髪を切ったエピソードで、日本でも出家したら髪を切ることを私は思い出した。出家=人間をやめる だから、単に「女性らしい長い髪を失って悲しい」じゃないんだよね。ロシア文化圏の女性たちにとっても、長いお下げ髪は単なるおしゃれではない。「女性性の象徴」なのだそう。*4髪を切って戦場で生活する自分は女性ではない、かといって男性になれるわけでもない、そういう曖昧な存在になってしまった、つまり自分はこの世の人ではなくなった、人間ではなくなった…というイメージを私は持った。
ただ、この部分は色々な捉え方ができるよね。そういう複雑な意味を含む事象をそのまま表現できるのは文学ならではなのかなと思った。
また、悲惨な話ばかりではなく、心が休まるエピソードやロマンチックな恋愛の話のあったのも”文学”と位置づけている理由なのかもしれない。例えば、道に迷ってしまったので馬に行き先を委ねたら馬が仲間を見つけ出してくれた話*5、戦場で恋をした話*6、恋の話とまでは行かなくても「同じ隊の誰それがハンサムだった」という話など。戦場ではどんなことに喜びを感じていたのか、を語ることで逆に「そんな小さなことを喜ぶほど悲惨な状況だったのか」と想像できる*7し、戦場でかっこいい人を見つけて喜ぶ姿が描かれることで「恋愛で頭がいっぱいになってしまうほど若い頃に戦場にいたのだ」と想像できるんだよね。一つのエピソードから色々な想像が広がる。歴史の本でそういう書き方をするのを見たことがないから、この部分が文学っぽいなと感じた。
これ、創作する人にとってはインスピレーションの宝箱だよね。「戦いの中に身を置く女性がどう生きたのか」が豊かに描かれている。影響受ける作家(小説、漫画、映画etc)たくさんいるだろうな…わたしが二次創作するタイプのオタクや表現者だったら絶対になにか作ってた。
 

オーラル・ヒストリーではなく文学

アレクシエーヴィチは「自分の作品はオーラル・ヒストリーではなく文学」と位置づけているんだけど、確かに一つの表現で色々な解釈ができるところは歴史学ではなく文学なのかな。わたしは最初の感想で「オーラル・ヒストリーだ」と書いたんだけど、『100分』や『対話』を読んでからは「確かに文学だ」って考え直した。
これについてアレクシエーヴィチは『対話』の中で以下のように述べている。
(「本物の文学とオーラル・ヒストリーの違いは何か?」「オーラル・ヒストリーとの違いは、自律的な文学作品としてのプロットや構造があるところなのか」という質問に対して)
「自分のしていることはオーラル・ヒストリーではなく芸術、文学。文学とは自分たちがこれまで慣れ親しんできたフィクションだけではない。自分の作品は「声たちによる小説(ロマン)」。作曲家がいろいろな音から交響曲やオラトリオをつくりあげるように、自分もたくさんの声から長編をつくっている。ひとりひとりが自分なりに時代の片鱗を見ているので、それらを集めたらある光景が浮かび上がってくる」(※要約)*8
実際、アレクシエーヴィチはインタビューの際、指揮者がタクトを振るうように質問内容を工夫しているらしい。例えば「あなたはどんな英雄だったんですか」ではなく「人を殺すのはどんなに恐ろしいことでしたか」「死ぬとはどれほど恐ろしいことでしょう」等と聞くようにしているのだそう。また、ある人にインタビューした際、「イデオロギー絡みのつまらない話を延々と聞かされた後ようやく、相手が私を信頼してくれイデオロギーから解放される、そういう瞬間を待たなければならないこともあります」*9ということもあるらしい。アレクシエーヴィチの傾聴力と質問力があるからこそ証言を引き出せる、ってことなんだろうな。
なにか明らかにしたい事実が先にあって、その実証性を担保するために証言を聞き取るのではない。「戦場でどんなことがあったか」を記録するためでもない。あくまでも「戦場で人間がなにを感じていたのか」に関心がある。その関心のありかたを指して「歴史学ではなく文学だ」と彼女自身は位置づけているんだと思う。
 

読み手にとっては歴史でもある

ただ、「オーラル・ヒストリーではなく文学である」はあくまでもアレクシエーヴィチ自身の考えなので、読み手にとってはまた違う意味を持つ可能性もあるよね。例えば、沼野恭子さんは『対話』内の「文学と歴史学のはざま」という小項目の中で、記録・歴史と文学のはざまという「越境性」を持つジャンルとして歴史家イヴァン・ジャブロンカや『苦海浄土』の石牟礼道子などを紹介している。『戦争は〜』も読み手にとっては文学であり歴史でもあると私は思う。ちょっと話がずれるけど、「昔のことを知りたいな〜」くらいの動機で歴史小説を読むこともあるので、そもそも文学と歴史って密接な関係だよなというか。
べつに歴史学や文学それぞれどちらかを低く位置づけたくて言うわけじゃないんだけど、歴史学が拾い上げきれなかったものを形にできるのがアレクシエーヴィチの文学なのかなと思った。「感情」に焦点をあてたからこそ残せる歴史があるんだね。例えば「100万人が犠牲になった」と書いてもそこから想像できることには限界があるけれど、「子どももレジスタンスに参加していた」と言われたら「子どもでも立派な戦力になるくらい逼迫した状況だったのだ」と想像できる。数字よりも記憶に残りやすいしね。歴史学専攻としては悔しいけど物語の持つ力ってすごいよね…(歴史を「物語」として消費したがる人が多いからこそ生まれた問題もたくさんあるんだけど、それはまた別の話)
 

おわりに

ベタな言葉でまとめるけど、本当に読んで良かった。アレクシエーヴィチの作り上げた作品として感想をまとめたけど、できれば一つ一つのエピソードについて細かく語っていきたいくらい。自分の心に炎が灯る作品だった。
これまでにベラルーシの劇団やロシア語劇団サークル「コンツェルト」が舞台化したことがあるらしい。舞台作品は映像に残らないことが多いから難しいけど、いつか舞台も見てみたいな。
 
最後に、ここまで書いて最後に気がついたことを一つ。アレクシエーヴィチは「人の証言は変わる(ペレストロイカ以前と以後で、証言できる内容が変わったらしい)」と書いているんだけど、実際、わたしも①最初に読んだとき②100分de名著のテキストを読んで番組を観たとき③『アレクシエーヴィチとの対話』を読んだとき④読書会を終えたとき で自分が感想として抱く言葉が少しずつ変化していったんだよね。何かを読んだら別の視点からも勉強してみる、時間を取って誰かとじっくり対話する、って本当に大事なんだなと思ったし、自分の変化を感じられてとても興味深かった。
 
 

*1:岩波版、284頁

*2:『100分』電子書籍版、ロケーション1410の521

*3:これは現代ロシアの話だけど『対話』内でそう書かれていた部分があった

*4:『100分』ロケーション564

*5:岩波版、236-237頁

*6:色々あるけど例えば;岩波版、348-350頁など

*7:100分de名著の番組内で伊集院光が言及していた。「包帯でドレスを作ったことが幸せだった」と語ることで当時それくらい物がなかったということが分かる、と

*8:『対話』第17章 ユートピアの声 より

*9:同上