@AZUSACHKA 's note

わたしの感想をわたしが読みたい。

『同志少女よ、敵を撃て』読書会 - セラフィマとイリーナは"アスファルトに咲く花"

以前『同志少女よ、敵を撃て』の感想を書きました。その後、友人のな凧さんと改めて読書会をしたら、イリーナとセラフィマの関係性についての掘り下げで大いに盛り上がりました。この沸き立つ気持ちをシェアしたい!!セラフィマとイリーナ…良い!!という気持ちで語り合った記録です。内容は長くなったので、箇条書きでまとめた部分と会話形式を残した部分の両方があります。

以下、最初からネタバレしています。未読の方はご注意ください。

 

twitter.com

 

あ:azusachkaです。よろしくお願いします

な:な凧です。よろしくお願いします

※一部会話形式、一部箇条書きです。会話部分はPCだとフキダシで表示されます。


前半:一番のポイントはミハイル/ミハイルにムカつく私たち

あ:まずは何から話しますか?

な:ミハイルですね!!!!

ホモソーシャルを代表するキャラクターとしてのミハイル

  • 軍隊の中でも暴力をふるわない、昔から特別に優しい男として描写されているにも関わらず、性コミュニティの一体感を高めるため、女性に対して支配的になるという論理を容認するミハイル。
  • ミハイルがムカつくと話題になった356頁「悲しいけれど、どれほど普遍的と見える倫理も、結局は絶対者から与えられたものではなく、そのときにある種の『社会』を形成する人間が合意により作り上げたものだよ。だから絶対的にしてはな らないことがあるわけじゃない。戦争はその現れだ
  • 女性への性暴力にもメリットがあると語り、「被害者意識の共有によって連帯感を得る」というのも女性視点では意味が分からない発言。全ては男性の連帯のため正当化されている。ここでは女が犯されることのメリットについての話のはずが、男の話しかしていない。

相対的な善、絶対的な善、という対比

  • ミハイルは正論ではあるけど、戦争という特殊な環境下における、相対的な善でしかない。
  • 一方セラフィマは「戦争中であっても女性への暴力は許されない」という絶対的な善を掲げている。

あ:戦争はどちらも悪い(敵=悪魔ではない)」、つまり相対的な善、というのは一昔前のフィクションで好まれていたイメージ。「悪魔だと思っていた敵も人間だった…」というような。イメージだから実際のとこどうなのか分からないけど…でもセラフィマは「戦争であっても守るべき道義がある」という人。

な:私はやはり一度理想(セラフィマの言う絶対的な善)を捨てて、自分と組織に言い訳を許すともう理想を追うことは出来ないんだ…という印象を受けました

時代小説だが、問題意識は現代的な小説

あ:『女がロシアの所有物だと言われているようで腹が立つ(193頁)』というセリフや、ミハイルが指摘する『女を犯すのは性欲ではなく同志的結束を強めるため(355頁)』に、フェミニズムが蓄積してきた知見を感じます。

な:時代小説ですけど、中身はとても現代的ですよね


後半:百合語り - セラフィマとイリーナについて

“噛ませ犬”ミハイル

な:最後、セラフィマとイリーナの関係性は何になったと思いますか?

あ:わたしは『恋人関係であってほしい』派です

な:わかります~~!!でも最後結構仄めかしでしたよね…?!?!?それを思うとミハイルの嚙ませ犬感もすごいです。
いつの間にか村人に感情移入してて、ミハイルの最期まで、もしかして彼はセラフィマとの約束を守った上で無事に生きのびてふたりで故郷に帰るのではないか、あるいはこの戦争でミハイルがセラフィマを庇って死ぬなど、ある意味筋を通した最期が見れるのではないかと期待していたんですよね…

  • スリードを誘うポジション
    • 村人たちが結婚すると思っている(7頁)、「婚約しちゃえばよかったのに(359頁)」という表現からわかるように周囲はふたりをくっつけたがっているし、ミハイルもセラフィマにプロポーズして結婚するつもりだった(148頁)。だが、セラフィマ側からはミハイルに対して好きだという気持ちは一切書かれておらず、「そう言われてるよね」くらいの事実だけで、気持ち的にはあくまで兄妹のような存在としてみていたのだという事が最後になって納得できる。
  • 女は男のために戦っていない
    • あんなにイェーガーを愛しているように見えたサンドラも、実際にはイェーガーは一番でなく、おなかの子供を最優先にした。女たちは男よりも大切なものを背負っている。男のために戦う女がいない。イェーガーとサンドラ、ミハイルとセラフィマの関係はパラレルになっているように見える。

セラフィマとイリーナは恋人になったのか

あ:セラフィマとイリーナの話に戻りますが、『二人が恋人関係になった(そうであってほしい)』はいいとして、愛が始まったのはどのタイミングだったんでしょうか

な:ハッキリと描かれた部分はなかったですよね

  • ふたりの船上でのキスに「違った感触がした」(460頁)で、初めて関係性の変化が仄めかされる。シャルロッタとのキスは「家族的なもの」「友愛」だとすると、イリーナとのキスは特別な関係であることは間違いないのだけど、そこは読者の想像の余地を大いに残している。
  • ハッキリ描写されるよりも仄めかされるほうが読者は楽しいかもしれない
  • 仄めかされるほうが想像できて楽しい
    • セラフィマが悪夢にうなされて夜に飛び起きる。イリーナが彼女を家に連れ戻して、二人は同じベッドで寝る。(470頁)。きっと「今夜だけは一緒に寝ようね」のような会話があっただろうと想像できる。
    • 同じベッドで眠ることは恋人のようでもあり、母娘のようでもあり、姉妹のようでもある。
    • 二人の関係性が恋人なのか、家族のような関係なのかハッキリと描かれていはいないけれど、その余白の部分が大事
    • 戦後、戦争に出た女性に対する差別は根強かった。物語中でターニャのみが結婚し、残りのイリーナ隊が結婚した表現がないのはそういった事情もあるかと思うが、女性同士で連帯して生きていくのは救いに見える。
  • ハッキリ描かれると、ロシアで出版の可能性が消えてしまう(ロシアには同性愛宣伝禁止法がある)
  • 愛が生まれたのは、物語が終わってからなのかもしれない。劇中ではあくまでも「何かが始まった」だけ

そもそもセラフィマとイリーナの間にあるのは愛なのか

な:最後のシャルロッタの手紙にあった、リュドミラ・パブリチェンコの言ってた大事なふたつのことって家族と趣味でしたっけ?

あ:『愛と生きがい』(374頁)じゃないですか?

  • 最後の手紙(478頁)の意味解読:シャルロッタの手紙には、大切なふたつのことの内、少なくともひとつを手に入れたので生涯手放さないとある。その手紙に対し、セラフィマはふたつとも手に入れたと感じている。物語の中で、セラフィマの「生きがい」「愛する人」とは?
    • イリーナの生きがい:女性を守る・女性の再生
    • セラフィマは途中で自分とイリーナの目標が一緒であることに気づく
    • セラフィマが手に入れたのはイリーナという愛する人。生きがいとしては村の再興、戦争を語ること、イリーナその人とも考えられる。
    • 愛情は友情の延長線上にある。セラフィマにとってイリーナは「愛する人」であり「生きがい」の両方。
    • イリーナの戦争は「私の知る、誰かが…自分が何かを経験したのか、自分は、なぜ戦ったのか、自分は、一体何を見て、何を聞き、何を思い、何をしたのか…それを、ソ連人民の鼓舞のためではなく、自らの弁護のためでもなく、ただ伝えるためだけに話すことができれば」(101頁)、終わるとしている。戦後、アレクシエーヴィチのインタビューをセラフィマが受けることが決まり、「私の戦争も終わる」(476頁)とイリーナが話すまでこの話はずっと繋がっている。

アスファルトに咲く花を愛してる

あ:『異性愛が前提とされている世界(掲載誌)に生まれた同性愛』が好きなんですよね

な:それはアスファルトに咲く花』ですね。花壇には花があって当然ですけど、アスファルトのような花が咲くことが前提になってないところに咲くからこそ美しいのだという感覚ではないでしょうか!?

あ:そうなんです!!アスファルトヘテロセクシャルが前提とされてしまっている社会)に負けず咲く花!!けして異性愛がマジョリティの世界であってほしいと思っているわけではなく、カップリングの方向性をあらかじめ決めていない作品のなかに当たり前に同性愛が出てくるようになってほしいんですよね。もちろん、アスファルト(差別)なんてなくなるのが一番ですが…。−−他作品ですけど、漫画『ハコヅメ』について語っているこのnoteで「女性同士で、特段百合とかいわず、こういう物語が出てきてくれたことが私は嬉しい。」と書いてあって、すごくよく分かるんです。百合と言ってないけど百合であるところがポイント。それは『同志少女』も!

な:めちゃくちゃわかります。そしてタイトルの「同志少女」の「同志」の意味とは、まさにそんなシスターフッドに回収されるような気がします。もちろんソビエト的言い回しではあるんですけど、ふたりは国家のため、男のために戦うのではなく、別の、そして共通の目的を持った、ふたりだけの「同志」なのではないかと思うんです。最後にセラフィマは、国も、村の仲間も超えて、単に「敵」である「女性を傷つけるもの」を撃った。それはセラフィマが他の誰でもなく、イリーナの同志であるということだと思うんです。

あ:『レズビアン』ではなく『百合』あるいは『同志』なんですよね

な:はい、「レズビアン」とか「バイセク」はあくまで性的嗜好、性的対象に関わる話なので、どちらかというとシスターフッドの延長としての「家族」「親しい関係」に興味があるんですよ。セラフィマとイリーナの間に性的関係があるかどうかということは全くどうでもよく、このふたりがお互いを守って、「同志」として生きられるかどうかということが何よりも重要と考えます

あ:たしかに、この二人に性的関係があるかどうか作中で名言されていないし、大切なのは二人の「同志」としての関係性の延長線上にああいうラストがあったということですよね。名前を付けるとしたら「同志百合」ですかね?特別「百合」とカテゴライズされているわけではない作品でこういった関係性が描かれているのが嬉しいですよね。


おわりに

あ:この世界観を継続させて次回作を書いてほしいですよね

な:本当に、もっとサブキャラの掘り下げも見たいです。たとえばイリーナとリュドミラ、オリガとハトゥナの過去編が見たい!それと、またロシアものを描いてほしいですね。ロマノフ王朝ものとか!

 

最近、本を読んだらほぼ毎回誰かしらと読書会をしてるんだけど、やっぱり誰かと話すと解像度が全然違う。すごく楽しかった〜!!話した内容をこうやって形に残すのも楽しかった。

な凧さん、対談ありがとうございました❤

 

感想もらえると嬉しいです→azusachkaにマシュマロを投げる | マシュマロ

関連記事です

azu-mir.hatenablog.com

azu-mir.hatenablog.com