@AZUSACHKA 's note

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並大抵の覚悟では挑めないもの - 記録映画「チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ」感想

ポレポレ東中野で上映中の記録映画。
チロンヌㇷ゚カムイ(キツネ)を神の国に送る、アイヌの祭祀。
1986年前に実施されたときの映像が映画化されたもの。
以下、簡単な感想。
記録映画だからネタバレとか特にないと思うけど、まっさらな状態で映画を観たい人は読まないでね。
 

 

①想像してたより数倍手間のかかる儀式だった

なんとなく想像していたのは、日本人?和人?でいうお葬式みたいなもの。
集落の人たちみんなでお酒や食べ物を持ち寄って、2〜3時間くらいで儀式が終わり、最後にカムイをみんなで頂いたり加工したりして終わり。特にこのイメージの根拠はない。
 
でも実際はもっと手間も時間もかかってた。
まずお酒やイオマンテで使うイナウを作るところ(準備)から始まる。
儀式の日程も、なんと3日間もある。(5/24 酒漉しの前祝い→5/31 前夜祭→6/1 イオマンテ
日本人の?和人の?文化でいうと、お葬式というよりお祭りに近い規模だなーと思った。雰囲気も。(実際、女性たちが踊りを披露する場面がたくさんある)
アイヌにとって最も大切な儀式なのだ、並大抵の覚悟では挑めないものなのだ、という雰囲気がすごく伝わってきた。
 

②「生きた」道具や衣装の姿を見ることができた

アイヌの衣装が、思っていたよりもずっと多様だったのだと気がついた。
たとえばマタンプㇱ(ハチマキ)だけ見ても、色・模様・太さはそれぞれ違う。頭に巻く位置も人によって違う。(家による違いなのか、個人の好みなのかは分からないけど)
衣装はこれまでに博物館でも見てきたはずだけど、たくさんの人が一度に集まる場だと多様さが一目瞭然だった。こんなに色とりどりで、色んな形があるものなのかと。
 
やっぱり衣服や道具は、人が使ってこそ完成されるんだな。
道具だって、「〇〇に使う道具」と説明付きで博物館に展示されていても、どのような手付きで持つものなのかは分からない。人が使っているところを見ないと分からない。たとえば日本の?和人の?茶碗にだって、持ち方の作法があるように。
 
やっぱり「博物館に飾られているから文化が残った」とはいえないんだよね。
道具は人が使ってこそなのだから。
(そう思うとやっぱりゴールデンカムイ最終回のあれは本当に苦い、苦すぎる…)
 
日本人の道具だって、廃れて使われなくなったものはたくさんある。
でもそれは社会の発展に伴って次第に失われただけであって、誰かに奪われたわけではない。
アイヌの道具は、奪われたものなのだ。日本人?和人?が奪ったものなのだ。
 
アイヌにとって特別なこのイオマンテは、失われてしまったものなのだ。
上映中そんなことを考えていたらとても悲しくなってしまい、実はちょっと泣きそうになった。
 

③細かいとこの感想(箇条書き)

  • そもそも「イオマンテって熊だけじゃないんだ」と驚いた。キツネでもやるんだ。
  • 日本語で「神々」と表現されていた言葉はアイヌ語だと「カムイウタリ」だったのが面白かった。カムイ(神)はウタリ(同胞)なんだ!という驚き。「神々」と「神様にして同胞(?)」だとなんとなく意味が違うよね。こういうところにアイヌの考え方が表れているんだろうな。(もちろん中川裕さんはそんなこと分かったうえで読みやすさを重視したんだろうけど)
  • 祈りの言葉の中に何度も「アシㇼ(新しい)」という単語が出てきてアシㇼパさんを思い出した。たぶんわたしは「アシㇼ」という言葉を聞くたびに一生アシㇼパさんを思い出す。
  • アイヌの儀式の性別役割分担が気になった。それは別にアイヌ社会が特別遅れているわけでもなんでもない(どの社会にもそういうのはある)。だから当たり前なんだけど、アイヌ社会もそうなんだ〜という感想。アシㇼパさんはアイヌのイメージを変えただけでなく、アイヌ社会のジェンダーロールも打ち破った存在だったんだな。(それは作中でも序盤でそう言われていたけれど)
  • 自分がアイヌで良かったと初めて思った、と話す女性が印象的だった。
  • 一緒に行った友だちはアイヌ文化にとても詳しい人なんだけど、彼女は「踊りが上手い…!」と感動していたのが印象的だった。わたしはアイヌの踊りをあまり見たことがないのでよく分からなかったけど、詳しい人が見ればそうみたい。
  • 「日本人?和人?」と書いたのは、どう表現するのが正解か分からなかったから。
    「日本人」→アイヌも国籍は日本人だよ?
    「和人」→アイヌ側から見た言葉を「和人」である私が使うのもなんか違くない?
    と悩んでしまった。

 

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