@AZUSACHKA 's note

わたしの感想をわたしが読みたい。

斎藤美奈子『紅一点論』① - マリー・キュリー、セーラームーン、安藤美姫の共通点

【読んだ本】斎藤美奈子『紅一点論――アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』筑摩書房、2001年

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

 

 

 この本を読んだきっかけは、院の授業でジェンダーを扱う同じ授業を履修していた後輩から薦められたことでした。修士論文を執筆していたので読了が遅くなり、先日ようやく読み終えた次第です。とても面白い本だったので感想&紹介文を書きたいと思ったのですが、それがどんなに面白いものであっても、読んだことのない人に「面白そうだなあ」と感じてもらえるように紹介するのって苦手なんです。そんなわけで、自分なりに考えたことを付け加えて、本の感想ではなく自分の日記にしてしまうことに決めたのでした。

 本書は、特撮ドラマやアニメという子ども向けの物語における「ヒロイン像」について述べたものです。「個々の作品評」ではなく、「ジャンルの全体像、総体としてのヒロイン像」に目を向けたものです。ただし「ヒロイン」といっても扱うのは特撮ドラマ・アニメのヒロイン(セーラームーン宇宙戦艦ヤマトもののけ姫など)だけでなく、子ども向けの伝記のヒロイン(ナイチンゲールヘレン・ケラーなど)についても論じています。

 「伝記のヒロイン」の具体例の一人として取り上げられたのが、マリー・キュリーでした。ここでは、彼女の伝記はまるで「セーラームーン」のようだ、と位置付けられています。①ピエール=タキシード仮面=運命の王子様、②ラジウム=幻の銀水晶=世界を救う宝物、など。本の中では言及されていない点を補足すると、③マリーにもセーラームーンにも娘(ちびうさ)がいる、④どちらも主婦失格・母親失格である(マリーは仕事人間なので娘を義父に預けており、ちびうさは母と気持ちがすれ違って寂しい思いをしていた)、⑤物語の途中で「王子様」がいなくなる(タキシード仮面は敵にしょっちゅうさらわれる)など、多数の共通点が見られます。しかしわたしが最も注目したいのは、どちらも「娘を身内に預けて外の世界で戦う母親」だということです。

 研究に没頭するキュリー夫妻にかわって娘の面倒を見ていたのは、ピエールの父(マリーの義父)だったそうです。そのせいで、娘たちは母に挨拶の仕方や行儀を習うことができませんでした。その意味でマリーは「母親失格」といえます。しかし彼女の娘はふたりとも立派に育ちました(一人はジャーナリスト、一人は科学者です)。*1

 一方、セーラームーンもまた「母親失格」といえます。まず、彼女はマリー同様に仕事人間です。現代の「セーラームーン」は、タキシード仮面こと地場衛にちびうさを預けて戦いの場に行くことがありました。地場衛も自分の役割は家庭(=娘)を守ることだと認識しています。*2未来のネオ・クイーン・セレニティはあまり娘にかまってやれません。地球の女王ですからとても忙しいのです。漫画版ではいじめっ子の男子に「おまえはクイーンのホントの子じゃないんだってみんないってるぜ。ニセモノプリンセス!」「だってちっともかわいがってもらってないじゃんか」とまで言われたことまであります(お姫様なのに…)。*3もちろんクイーンはちびうさを愛しているのですが、ちっとも伝わっていません。母親失格です。でも――ちびうさがどのような大人になるのかは作品で描かれていないため分かりませんが――今のところ、ちょっとナマイキなところ以外は健康的に成長しています。*4

 斎藤さんはマリーの「母親失格」の部分について、次のように述べています。

「しかし、それも、キュリー家の個性を物語り、母親が留守がちの子を励ましこそすれ、マリーの価値を下げることにはなるまい。…(略)…母が主婦失格・母親失格でも、娘たちは人並み以上の大人に育った。もし必要なら、『いまもそうですが、むかしは子どもをあずかってくれる社会のしくみがととのっていませんでした。働いているお母さんは、とてもたいへんだったのです』とでもつけ加えておけばよいのである。」*5

 なお、中川裕美さんはセーラームーンについて次のように述べたことがあります。

「何かを得るためには何かを代償として失うことが多い『戦う少女』にあって、女性の幸せを全て手に入れて物語を終えるのは『美少女戦士セーラームーン』のうさぎである。うさぎは、『幻の銀水晶』のちからによる老いない体と一千年という長寿、自分を守ってくれる優しい王子さまと仲間たち、同じセーラー戦士としての使命を持つ娘、を持つ。…(略)…『美少女戦士セーラームーン』は、『戦う少女』の中にあって初めての「肯定」から始まる物語だったのである。」*6

 母親失格でもいいじゃないですか。だってマリーにもセーラームーンにも、娘の面倒を見てくれる身内がいるのです。子どもを産んで、自分は仕事に没頭して、愛する夫が支えてくれる。「全ての女性がそうあるべき」とか「女性の理想的な生き方」とまでは言いません。でも、そういう選択をする女性がいたっていいじゃありませんか。ノーベル賞を二度も受賞する優秀な女性なんですよ。太陽系すべての惑星が忠誠を誓うお姫様なんですよ。肯定してもいいじゃないですか。

 最後になりましたが、タイトルに入れたもう一人の女性についても触れておきます。フィギュアスケーター安藤美姫さんもまた「娘を身内に預けて外の世界で戦う母親」です。安藤さんは最後の現役時代であった2013-14シーズンは全ての試合に娘を連れて行ったらしいのですが、どうしても無理な場合でも、彼女には名古屋の実家という頼れる身内がありました。マリーが優秀な科学者であるのと同じように、安藤さんも優秀な選手でした。おまけに欠点まで似ています。マリーが社会性に欠如していた人間だったように、安藤さんもまた人前でのコミュニケーションが得手ではありません。さらに、欠点とは違いますが、両者ともパパラッチに狙われがちな点まで似ています。そういえばセーラームーンも一番最後のシリーズではタキシード仮面がいないときに良い雰囲気となった同級生男子(本当は女性ですが)がいましたね。そもそも、セーラームーンの祖国であるシルバーミレニアムの王室が女王制であるのと同様に、安藤さん自身もまたシングル家庭でした(彼女は幼い頃に父を亡くしています)。それでも彼女は女子で初めて4回転ジャンプを成功させ(しかもサルコウです)、高難度の3Lz-3Loを跳び、二度も世界チャンピオンになり、引退後にテレビ番組でコメントを求められれば五輪メダリスト予想を当てる能力を持っています。安藤美姫マリー・キュリーなのです。

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 つまり、マリー・キュリーセーラームーンであり、マリー・キュリー安藤美姫であり、そうしてマリー・キュリーを媒介にすると、セーラームーン安藤美姫はつながるのです。なんということでしょう、ブログタイトルに「月」という言葉を入れてしまうほど大好きなセーラームーンと、生まれて初めて好きになったフィギュアスケーターである安藤美姫さんが似ていたなんて。逆に言えば、セーラームーンが大好きだったわたしが安藤さんのファンになったのは必然だったということなのでしょうか。新たな自分を発見しました。

 当時、パパラッチに追い回されて不倫疑惑を報道されたマリー・キュリーも、現在では「偉人」の一人です。そこまで大仰な位置づけにならなくてもいいから、安藤さんもいつかゴシップなんて忘れられて純粋にスケートの功績が評価されるようになってほしいなあ…なんて思ったのでした。

*1:p271-273

*2:漫画版;新装版5巻p58-59

*3:漫画版;新装版4巻p231-233

*4:未来ではいじめられていたちびうさですが、現代(ちびうさから見れば過去)に来て「プリンセス」という身分は関係ない状態で小学校に通う彼女は、社交的で友人関係もきちんと築けています。

*5:p272-273

*6:CiNii 論文 -  少女マンガの「戦う少女」にみるジェンダー規範--『リボンの騎士』から『美少女戦士セーラームーン』まで