@AZUSACHKA 's note

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セーラームーンのことを考えたら気が楽になった - 『ゴールデンカムイ』31巻感想

漫画『ゴールデンカムイ』最終巻がついに発売された(2022年7月)。
最終回発表当時(2022年4月)、わたしは「『私たちの戦いはこれからだ』ENDにしてほしかった」という感想を書いた。
そこで述べていた最終回の問題点について、加筆修正で変わった部分があるので感想を書いた。
 
目次

 

1.ゴールデンカムイセーラームーン

セーラームーンの新しいところ・古いところ

セーラームーン』はアニメ・漫画における女性の表象に大きな変化をもたらした、フェミニスト的な作品である。わたしも大好きだ。
(例:女の子が「女の子の格好」のまま活躍している(名誉男性にならなくても女性は活躍できる)、主人公が子持ちになっても活躍し続ける、など。無印13話*1では割と直球に女性差別に対してセーラー戦士が抗議してる)
でも、90年代に作られた作品なのでさすがに古い部分は多い。
例えば、基本的にセーラー戦士たちのスカートの中は不思議な力で守られていて基本的に見えてしまうことはないけれど、あるアニメーターが作画を担当した回だけはレオタードが少しだけ見えることがある。あと、亜美ちゃんの尊厳のために何も書かないけど、無印27話の亜美ちゃん回は本当にひどかった。他にも色々ある。
とはいえ、それをもって「セーラームーン女性差別的な作品だ」と語られることはたぶんほとんどない。「さすがに古い部分はあるけど、でもすごい作品だった」とわたしは思ってるし、同じように考えてる人はたぶん少なくないと思う(※統計とったわけじゃないのでふんわりとした表現)。
 
※参考 興味ある人もいると思うので参考までに
さすがに古いんじゃ…という部分について述べたコラム→「セーラームーン」はフェミニスト作品なのか? 9歳の娘をもつ父親による考察。
 

ゴールデンカムイにも、良かったところ・伸びしろのあるところの両方がある

ゴールデンカムイ』もそんな感じの位置付けになるのかな、というのが自分の最終的な結論だった。
 
ゴールデンカムイ』は基本的にエンターテインメントなんだけど、匂わせ程度ではあるもののアイヌ差別は描いていた。そもそも物語の始まりが「和人に抵抗するため金塊を集めていたアイヌ」だったし。
 
だから個人的に、『ゴールデンカムイ』は『マッドマックス 怒りのデスロード』みたいな作品になれるのかな、と実は期待してたんだよね。
エンターテインメントや派手なアクションと、フェミニズム(反差別)の両方を成立させた物語。それだけの期待をさせるほどの漫画だったから。
(最終回の感想でも述べたとおり、元々はそう思ってなかったんだけど、土地の権利書が見つかったあたりの展開で「もしかして…」と思ったんだよね。マッドマックスのラストみたいになるのか…!?と期待してしまった)
 
けれど、現実のアイヌ差別に対する明確な抗議は最後まで読み取れなかった。あくまでもエンターテイメントを優先させた物語であり、現実への批評性は重視していない。
(とはいえ一つ擁護するなら、これは『ゴールデンカムイ』だけの問題ではなく、アニメ化や各種コラボもするような巨大コンテンツが「反差別」を明確に掲げられるような土壌がない、この日本社会の問題でもあると思う)
 
セーラームーン』も、現実への批評性を重視した作品ではない。女性差別に真正面から抗議した作品ではない。
それでも『セーラームーン』はすごい作品である。女性差別に真正面から取り組んでいなくても、フェミニズム作品である。それは疑いようがない。
 
ゴールデンカムイ』もきっと同じなのだ。
アイヌ差別に真正面から抗議した作品ではなくても、現実への批評性を重視していなくても、差別是正に寄与したところはきっと大きいはずなのだ。
セーラームーン』が「さすがに古い部分はあるけど、でもすごい作品だった」なら、『ゴールデンカムイ』は「もっと反差別を明確に掲げてほしくはあったけど、でもすごい作品だった」かな?
 
その作品に批判すべき点があると全部ダメってわけじゃないし、めちゃくちゃ面白くてすごい作品なら絶対に欠点がないわけじゃない。
足りないところがあっても、その作品を愛し続けてもいいのだ。
反対に、愛していても批判していい。その2つは全く矛盾しない。
 
これ、前々から頭では分かっていたことではあるんだけど、最近『セーラームーン』に置き換えて考えてみたらなぜかスッと心が軽くなったんだよね。
最終回があまりにもショックすぎてたくさん悩んできたけど、『セーラームーン』もよく考えたら同じなんだからもしかしてそんなに深く深く悩まなくてもいい…?悲観することない…?と。
(いや、悩んだり批判したりするのはとても大事なことだし、悩んだ過去があるから今があるんだけど)
(そしてこれは、後述するけど単行本で最終回が加筆修正されたから言えることではあるんだけど。笑)
 
なんでいきなり『セーラームーン』なのかというと、最近たまたまセーラームーンミュージアム(六本木で開催中)に行く機会があって、それで最近セーラームーンのことを考えてたから。
子どもの頃からずーっとセーラームーンに救われてきたな〜!!セーラームーンほんとにありがとう大好き!!
 
タイトルにつけた、セーラームーンの話はここで終わり。
 

差別解消を目指すスタンスの違い?

ところで、以前報告した通り、アイヌ史を学ぶ読書会を友だちと始めた。
読書会の際、アイヌ研究に詳しい友人が教えてくれたことなんだけど(耳学問で恐縮です)、そもそも「アイヌは差別されている」という前提を述べることは差別の再生産になる、というスタンスの研究者もいるらしい。アイヌ差別について述べるのではなく、アイヌの洗練された、豊かな文化や価値観について述べることで差別解消を目指す、という立場もあるのだと。
その話を聞いて、だから『ゴールデンカムイ』もひょっとしてそういう立場なのかな、と思った。
 
アイヌ」といえばアシㇼパさんが浮かぶようになった人はきっと多いはず。しっかり者で賢い、自立した女性のアシㇼパさん。
 
アシㇼパさんがレクチャーするアイヌ文化、すごく面白かったよね。
わたしは北海道出身なのでさすがにアイヌの人々がいることは子供の頃から知ってたけど、「アイヌってなに?」「日本に日本人以外の人っているの?」という人も世の中にはたぶんいるはずなんだよね…。アイヌ差別を知らない、文化を知らないどころか、存在自体を知らない人。
そういう人にとっては、本当に意義深い作品だったと思う。
 
文化の描写も、アイヌ文化はけして発展が「遅れた」文化などではなく、あの土地で人々が生きるため合理的に発展してきた文化なんだ、とわたしは『ゴールデンカムイ』から感じたよ。
 
 
これも考えてみれば当たり前なんだけど、そういうことを物語を通じて学べるのがフィクションのいいところだよね。
 
前半はここで終わり。
次は31巻に掲載された最終回の加筆修正部分について。
 

2.最終回の加筆修正 - アイヌ文化の継承、白石王国、鶴見中尉

修正点①アイヌの人々が主体となって文化を継承した

ここは雑誌掲載時の表現からかなり印象が変わった。ベストの表現ではないけれど、ベターな表現になったと思う。
 
1つ目、「文化を伝えていく」だけでなく少数民族の連帯が必要だ」とアシㇼパさんが述べた点。
 
雑誌掲載時:
「私達の文化が消えないように新しいアイヌに伝えていく 樺太にもまたいかなければ…もっとその先の少数民族たちにも それが私の役目だ」
単行本:
「自分たちの文化がどれだけ大切ではかないものか皆に教えないと…樺太のもっとその先の キロランケニシパたちの故郷に住むひと達にも…この長い旅と沢山の出会いが無ければ考えもしなかった それぞれの違う部分を受け入れて 共に生きていける道を探そうって話し合いたい それが私の役目だ」
 
ゴールデンカムイの作中で少数民族同士の対立は特に描かれなかったけれど、個人の対立はあったからね。(ウイルクとキロランケ、軍資金を集めていたアイヌたちの「おまえ土を食べるのか!?」のシーンなど)
和人による搾取や差別を今すぐやめさせるのは難しくても、まず仲間と連帯することならできる。何をするにも、全てはそこから始まるのだ。*2
なにかを解決して終わるのではなく、アシㇼパさんが明確な課題を見つけて終わる形が示されたのはすごく良かったと思う。
「自分ひとりのちからでも出来ることをやっていく」という言葉も良かった。問題解決の物語ではなく、課題発見の物語。
最終回掲載時、わたしは「わたしたちの戦いはこれからだ」ンドがよかった…という主旨で感想を書いたのだけど、ある意味ではそうなったと言えるのかな。(自分に都合良すぎ?)
 
2つ目、「アイヌと和人の努力によって」からアイヌが主体となって」文化を守った、という表現に変わった点。
 
雑誌掲載時
「地道な活動が役に立ったのか 現在アイヌの民具は世界中の博物館で展示され その文化はアイヌと和人の努力によって後世に伝えられている」
単行本
「地道な活動が役に立ったのか アイヌ自分たちの文化を先祖代々守り伝え受け継いでいった」「言葉や詩やカムイの物語 文様や儀式や風習などは 明治末期以降から アイヌと和人の協力によって後世に伝えられている」「そして現在 日本中 世界中の博物館では アイヌの着物や狩りの道具や 儀礼品などは 大切に保存され 研究者や工芸家はそれら資料からもその技術を学び直す事ができており 新しいアイヌ達によって 新しいアイヌ文化が創造されている
 
「和人も協力した」は、そもそもアイヌ民族から文化を奪ったのは誰?という視点が抜けている。そこは変わらなかった。
でも、アイヌ自身が主体となって文化を守った、今も新しいアイヌ文化が創造されている、という表現が入るだけでかなり印象が変わった。当事者が取り戻すのが一番大事なことだから。
それに、「民具が博物館に展示されている」だけではなく「言葉や詩やカムイの物語 文様や儀式や風習など」という文化の中身が追加された。博物館の道具が展示されていることをもって「文化が残された」とはいえない、と思っていたので、ここが修正されて良かった。
とはいえ残された文化もあれば失われてしまった文化もあるし、「文化を残せました」というポジティブな締めくくりにしたこと自体はやっぱり良くないとは思う。文化だけじゃ人権・権利は守れないから。
だからこの修正を持って「良かった」とすることはできないんだけど…でもかなり印象が変わる修正だった!
 

修正点②白石王国は無人島に建国された

雑誌掲載時
「白石由竹がどうやって金塊を全て運び出し 東南アジアのどこかの島で王様になったのかは また別のお話」
単行本
「白石由竹がどうやって金塊を全て運び出し どこかの無人島で移民を募り王様になったのかは また別のお話」
 
東南アジアのどこかの島ではなく、どこかの無人島になったー!!
国民は移民になったーーーー!!!!!!
 
これ本当に良かった。日本が東南アジアの国々を侵略した歴史がある以上、あまりにもセンシティブな表現だと思ったから…。解釈によっては色々とポジティブな展開も想像できるとはいえ。
 
(参考文献とかあげる余力ないのでざっと書いてしまうけど、侵略の歴史を真正面から認識できていない日本人が多いのはもちろん、加害の歴史を謙虚に受け止めようとしてる人ですら東南アジアへの侵略への認識は薄い傾向にあるのでは…という問題意識のもとで研究していた仲間が学生時代いたんだよね。だからわたしはどうしても気になっていた部分だった。初読時は正直わたしも博物館ENDの衝撃が大きすぎて問題を認識できなかった部分なんだけど、後から色々と考えたらやっぱり問題だなと思うようになった部分。ちなみに何も書かずに述べたけど、学生時代わたしは歴史教育を研究していたのでこういう問題に関心がある)
 
最終回の加筆修正部分に対する感想は以上。
特にわたしが気になっていた3点すべて手が加えられていて嬉しかった。
(他にも、人によっては色々と批判ポイントがあったみたいだけど、それについてはわたしの力量不足につき書きません)
 

エピローグ:to be continued...? 鶴見中尉の追加エピソード

最後に、鶴見中尉のエピローグについて。
わたしはあのエピソード、「北海道/日本を守りたかった」ではなく「旧満州帝国領内を求め続けた」という意味で受け取った。
満州という大きな目的の途上にウイルクへの復讐があったのと同様に、満州への途上に北海道防衛があっただけ。
侵略戦争に負けたのにまだ満州を狙ってる元軍人がいるの、真夏にピッタリのホラーだよね…)
 
ただ、物語の終わりで「敵、実はまだ死んでない」と示すことで続編の可能性を匂わせる…という映画もあるので、鶴見中尉のエピソードはそれっぽいなと思った。(例:映画「SP 革命篇」など。この映画は結局、続編なかったけど…)
ただ、Twitterを見えると「鶴見中尉は日本の国防を考えていたんだね」と肯定的に捉えている人がけっこういるように感じた(数えてないのであくまでも印象)。たった4ページのエピソードなので解釈の幅は広いし、そういうふうに読む人がいてもおかしくない、とは思う。
 

おわり

31巻の感想はだいたいこんな感じかな。キリがないのでとりあえずこのへんで終わり。
 
「聖女」化されなかったアシㇼパさん、梅ちゃんの再婚・花屋の女将・第二子の妊娠など、女性キャラについて語りたいことはまだあるので…そのうち気が向いたら何か書くかもしれない。最後の最後までアシㇼパさんが性的に扱われなかったのはほんと〜〜〜〜に良かった〜〜〜〜〜〜〜〜と思ってる。そこはほんとに徹底されてたよね。
 
最後になったけど、野田先生、本当にお疲れ様でした。
ゴールデンカムイ』ほんとに面白かったです。
北海道出身の自分にとって、自分の故郷の歴史と向き合う大きなきっかけになりました。
ありがとうございました!
(まさかブログが本人に読まれることはないだろうけど、書きたい気分なので書いておく)
 

*1:ジェダイト「男がいなければ何もできぬのか。しょせん女などは浅はかなものよ。ハハハハ」レイちゃん「今どき、女よりも男の方がエライなんて言ってるのはおじさんだけだわ!」亜美ちゃん「そうよ!女を軽蔑するなんて封建時代の名残よ!」うさぎちゃん「男女差別はんたーい!」というシーンがある

*2:これは本筋から逸れるんだけど、完結後にとあるアイヌ男性の伝記を読んだんだよね。でもその人、アイヌ女性にひどいミソジニーを向けていたの。書かないけど、ひどいこと言ってた。抑圧された人がまたさらに別の人を抑圧する。これはアイヌに限らないけど、抑圧された人々がみな簡単に連帯できるとは限らないんだよね…差別は入れ子構造になってる。