@AZUSACHKA 's note

わたしの感想をわたしが読みたい。

リチャード・ドーンブッシュ選手2014-2015シーズン試合まとめ

今シーズン、わたしはスケヲタ歴約9年目にして、今さらながらアメリカのリチャード・ドーンブッシュ選手にハマりました。ロンバルディア杯で優勝して、この選手いいなあと思っていたら、中国杯で銅メダル獲得!SPの軽快なリズムの曲も気持ちがいいし、FSのColdlayも美しいスケーティングが映えています。

http://www4.pictures.zimbio.com/gi/Richard+Dornbush+Trophee+Eric+Bompard+ISU+Py6fqB31Dbnl.jpg

物理学を専攻しているらしく、TwitterInstagramではときどき数式の写真を投稿することも。ハーバード大学に通うクリスティーナ・ガオ選手も彼に数学を教わることがあるそうです(Twitterより)。1991年生まれとのことですし、大学の勉強も忙しそうですが、ぜひ長く競技生活を続けてほしいです。

以下、彼のプロフィールやSNSのリンク、今シーズンの動画をまとめます。

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安藤美姫さんトークショーinチャコット新宿店(2015/2/28) - 衣装へのこだわり

チャコット新宿店で開催された安藤美姫さんのトークショー&衣装展へ行きました。数日遅れですが、メモを読み返して簡単に記録しておこうと思います。

感想としては、美姫さんの衣装へのこだわりが細かいところまで聞けて大変興味深かったです。美姫さんの素敵な衣装は、この細かいこだわりに裏付けされているようです。本文にもありますが、チャコットさんがフィギュアスケート用の衣装を手がけるようになったのは美姫さんの注文がきっかけだったそうです。美姫さんは日本のフィギュアスケート界では成績のみならず衣装面でも先駆的な存在だったのかもしれません。

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斎藤美奈子『紅一点論』① - マリー・キュリー、セーラームーン、安藤美姫の共通点

【読んだ本】斎藤美奈子『紅一点論――アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』筑摩書房、2001年

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

 

 

 この本を読んだきっかけは、院の授業でジェンダーを扱う同じ授業を履修していた後輩から薦められたことでした。修士論文を執筆していたので読了が遅くなり、先日ようやく読み終えた次第です。とても面白い本だったので感想&紹介文を書きたいと思ったのですが、それがどんなに面白いものであっても、読んだことのない人に「面白そうだなあ」と感じてもらえるように紹介するのって苦手なんです。そんなわけで、自分なりに考えたことを付け加えて、本の感想ではなく自分の日記にしてしまうことに決めたのでした。

 本書は、特撮ドラマやアニメという子ども向けの物語における「ヒロイン像」について述べたものです。「個々の作品評」ではなく、「ジャンルの全体像、総体としてのヒロイン像」に目を向けたものです。ただし「ヒロイン」といっても扱うのは特撮ドラマ・アニメのヒロイン(セーラームーン宇宙戦艦ヤマトもののけ姫など)だけでなく、子ども向けの伝記のヒロイン(ナイチンゲールヘレン・ケラーなど)についても論じています。

 「伝記のヒロイン」の具体例の一人として取り上げられたのが、マリー・キュリーでした。ここでは、彼女の伝記はまるで「セーラームーン」のようだ、と位置付けられています。①ピエール=タキシード仮面=運命の王子様、②ラジウム=幻の銀水晶=世界を救う宝物、など。本の中では言及されていない点を補足すると、③マリーにもセーラームーンにも娘(ちびうさ)がいる、④どちらも主婦失格・母親失格である(マリーは仕事人間なので娘を義父に預けており、ちびうさは母と気持ちがすれ違って寂しい思いをしていた)、⑤物語の途中で「王子様」がいなくなる(タキシード仮面は敵にしょっちゅうさらわれる)など、多数の共通点が見られます。しかしわたしが最も注目したいのは、どちらも「娘を身内に預けて外の世界で戦う母親」だということです。

 研究に没頭するキュリー夫妻にかわって娘の面倒を見ていたのは、ピエールの父(マリーの義父)だったそうです。そのせいで、娘たちは母に挨拶の仕方や行儀を習うことができませんでした。その意味でマリーは「母親失格」といえます。しかし彼女の娘はふたりとも立派に育ちました(一人はジャーナリスト、一人は科学者です)。*1

 一方、セーラームーンもまた「母親失格」といえます。まず、彼女はマリー同様に仕事人間です。現代の「セーラームーン」は、タキシード仮面こと地場衛にちびうさを預けて戦いの場に行くことがありました。地場衛も自分の役割は家庭(=娘)を守ることだと認識しています。*2未来のネオ・クイーン・セレニティはあまり娘にかまってやれません。地球の女王ですからとても忙しいのです。漫画版ではいじめっ子の男子に「おまえはクイーンのホントの子じゃないんだってみんないってるぜ。ニセモノプリンセス!」「だってちっともかわいがってもらってないじゃんか」とまで言われたことまであります(お姫様なのに…)。*3もちろんクイーンはちびうさを愛しているのですが、ちっとも伝わっていません。母親失格です。でも――ちびうさがどのような大人になるのかは作品で描かれていないため分かりませんが――今のところ、ちょっとナマイキなところ以外は健康的に成長しています。*4

 斎藤さんはマリーの「母親失格」の部分について、次のように述べています。

「しかし、それも、キュリー家の個性を物語り、母親が留守がちの子を励ましこそすれ、マリーの価値を下げることにはなるまい。…(略)…母が主婦失格・母親失格でも、娘たちは人並み以上の大人に育った。もし必要なら、『いまもそうですが、むかしは子どもをあずかってくれる社会のしくみがととのっていませんでした。働いているお母さんは、とてもたいへんだったのです』とでもつけ加えておけばよいのである。」*5

 なお、中川裕美さんはセーラームーンについて次のように述べたことがあります。

「何かを得るためには何かを代償として失うことが多い『戦う少女』にあって、女性の幸せを全て手に入れて物語を終えるのは『美少女戦士セーラームーン』のうさぎである。うさぎは、『幻の銀水晶』のちからによる老いない体と一千年という長寿、自分を守ってくれる優しい王子さまと仲間たち、同じセーラー戦士としての使命を持つ娘、を持つ。…(略)…『美少女戦士セーラームーン』は、『戦う少女』の中にあって初めての「肯定」から始まる物語だったのである。」*6

 母親失格でもいいじゃないですか。だってマリーにもセーラームーンにも、娘の面倒を見てくれる身内がいるのです。子どもを産んで、自分は仕事に没頭して、愛する夫が支えてくれる。「全ての女性がそうあるべき」とか「女性の理想的な生き方」とまでは言いません。でも、そういう選択をする女性がいたっていいじゃありませんか。ノーベル賞を二度も受賞する優秀な女性なんですよ。太陽系すべての惑星が忠誠を誓うお姫様なんですよ。肯定してもいいじゃないですか。

 最後になりましたが、タイトルに入れたもう一人の女性についても触れておきます。フィギュアスケーター安藤美姫さんもまた「娘を身内に預けて外の世界で戦う母親」です。安藤さんは最後の現役時代であった2013-14シーズンは全ての試合に娘を連れて行ったらしいのですが、どうしても無理な場合でも、彼女には名古屋の実家という頼れる身内がありました。マリーが優秀な科学者であるのと同じように、安藤さんも優秀な選手でした。おまけに欠点まで似ています。マリーが社会性に欠如していた人間だったように、安藤さんもまた人前でのコミュニケーションが得手ではありません。さらに、欠点とは違いますが、両者ともパパラッチに狙われがちな点まで似ています。そういえばセーラームーンも一番最後のシリーズではタキシード仮面がいないときに良い雰囲気となった同級生男子(本当は女性ですが)がいましたね。そもそも、セーラームーンの祖国であるシルバーミレニアムの王室が女王制であるのと同様に、安藤さん自身もまたシングル家庭でした(彼女は幼い頃に父を亡くしています)。それでも彼女は女子で初めて4回転ジャンプを成功させ(しかもサルコウです)、高難度の3Lz-3Loを跳び、二度も世界チャンピオンになり、引退後にテレビ番組でコメントを求められれば五輪メダリスト予想を当てる能力を持っています。安藤美姫マリー・キュリーなのです。

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 つまり、マリー・キュリーセーラームーンであり、マリー・キュリー安藤美姫であり、そうしてマリー・キュリーを媒介にすると、セーラームーン安藤美姫はつながるのです。なんということでしょう、ブログタイトルに「月」という言葉を入れてしまうほど大好きなセーラームーンと、生まれて初めて好きになったフィギュアスケーターである安藤美姫さんが似ていたなんて。逆に言えば、セーラームーンが大好きだったわたしが安藤さんのファンになったのは必然だったということなのでしょうか。新たな自分を発見しました。

 当時、パパラッチに追い回されて不倫疑惑を報道されたマリー・キュリーも、現在では「偉人」の一人です。そこまで大仰な位置づけにならなくてもいいから、安藤さんもいつかゴシップなんて忘れられて純粋にスケートの功績が評価されるようになってほしいなあ…なんて思ったのでした。

*1:p271-273

*2:漫画版;新装版5巻p58-59

*3:漫画版;新装版4巻p231-233

*4:未来ではいじめられていたちびうさですが、現代(ちびうさから見れば過去)に来て「プリンセス」という身分は関係ない状態で小学校に通う彼女は、社交的で友人関係もきちんと築けています。

*5:p272-273

*6:CiNii 論文 -  少女マンガの「戦う少女」にみるジェンダー規範--『リボンの騎士』から『美少女戦士セーラームーン』まで

イスラム国による日本人人質事件に思うこと――上原専禄の「個性のあるものとして物を見る」によせて

【全文】「72時間は短すぎる。時間をもう少しいただきたい」〜イスラーム法学者・中田考氏がイスラム国の友人たちに呼びかけ (1/2)


【全文】「警察の捜査が、湯川さん後藤さんの危機的状況を引き起こした」〜ジャーナリスト・常岡浩介氏が会見 (1/2)

 

このエントリーを書いているのは1月30日。すでに上記のインタビューが行われたのは数日も前のことであり、交渉の内容も当初のものとは変わっておりますが、思うところを残しておきたかったので書くことにしました。2人の日本人がイスラム国によって拘束された事件について、みなみ まなぶ (@mcnang) | Twitter さんのつぶやきとと中田考さん・常岡浩介さんのインタビューを読んで、上原專碌が「文明圏」に基づく世界史像の必要を述べていたことを思い出したのでした。

 

常岡さんによれば、昨年8月にイスラム国の司令官から常岡さんのところへ連絡が入り(常岡さんはチェチェン戦争を取材していた縁で彼を取材したことがあった)、拘束した湯浅さんのスパイ容疑について裁判をするから、通訳として学者の中田さん・立会人としてジャーナリストの常岡さんに来てほしい、という要請があったそうです。急いで9月の頭に現地へ向かったものの、事情によってその時は会えず、一か月後に再びイスラム国へ向かう約束をしたのだが、10月6日に常岡さんが家宅捜索をされてしまい叶わなかった、という経緯だそうです。このお二方のインタビューは、わたしにとって以下の2つの意味を持ちました。

 

①身代金を支払う・支払わない以外の方法(それも平和的な)があると知った

  • 安倍総理の2億ドルの拠出金がイスラム国の女性や子どもを殺すためのものだと勘違いしているのであれば、本当に彼らがそう思っているのであれば自分や中田氏が誤解を解くことができるし、もし勘違いではなく分かっていてのことならば、わかっていないふりをしてイスラム国への攻撃に関与していない外部の人間を脅迫することはイスラム法で違法。(常岡氏)
  • 身代金を支払うことの代案として、イスラム法廷を開くことが挙げられる。そうすれば証人を立てることもできるし、完全無罪にはならずとも死刑(=その場で殺される)にはならないかもしれない。少しでも譲歩を引き出すことはできる。(常岡氏)
  • 今回の事件は、これまでの日本の支援はバランスが悪かったことに起因している。中東では赤新月社と呼ばれている国際赤十字イスラム国の支配地域でも人道活動を続けているものなので、トルコに仲介してもらってこの赤新月社を通じて難民支援を行うのはどうか。イスラム国の要求する金額は日本の難民支援に対するものなので、これが合理的で双方が受け入れられるギリギリのところでは。(中田氏)

わたしは国際政治にも刑事事件にも疎く、こういう人質事件が起こった場合に「身代金の支払い」以外の方法には何があるのかを全く知らないので、常岡・中田両氏の話は目からうろこでした。身代金を支払ってテロリズム資金繰りに加担するでもなく、日本人の命を見捨てるでもなく、武力以外の方法で交渉する方法が存在している。そして赤新月社を通じて難民支援をすることで、「安倍首相の中東支援のバランスの悪さ」という問題の本質を解決できる可能性がある。つまり、身代金を支払うか否かしか問えない八方ふさがりの状況ではなく、軍事力ではない、平和的な対話という方法がきちんと存在している、ということだったんですよね。

うまいこと言えないんですけど、このことになんだか私自身も救われたような気がしたんです。

 

②「個性のあるものとして物を見る」という上原專碌の言葉の意味を理解した

わたしは修士論文で上原專碌という歴史家の思想を研究していました。彼の主張していたことの中に、これからの日本人は「個性のあるものとして物を見る」ようにならなければならない、という話があります。ひとりひとりの人間や国・民族にはそれぞれ独特の考え方や歴史・個性があるとは考えられず、だから日本人は「自分の寸法で簡単に良い国だの、悪い国だのと、品定めをやってのける」傾向にあるのだ、これからはその傾向から脱しなければならないのだ、と上原さんは言っていました。*1これは、言い換えれば「その地域にはその地域の文化・文明があり、行動規範がある」ということだと思います。国際理解において、国・民族・宗教の違う相手であっても「同じ人間」だと理解することは大切なのですが、それと同じくらい「どう違うのか」を理解することも大切だと思うんです。「同じ人間」であっても、「物の見方・考え方」は違う。「個性のあるものとして見る」は「違う人間なのだ」と理解することなんですね。

もし、ひとりひとりの人間・国・民族・宗教には個性がある(=その地域なりの行動規範がある)ことを理解しなければ、衝突が起きたとしても、現実的で平和的な方法をとることができない。イスラム法廷赤新月社の存在を常岡さんや中田さんが挙げることができたのは、イスラム世界にはイスラム世界の秩序があると認知していればこそです。

修論はすでに提出してしまいましたが、こうして振り返ってみると、上原さんによる「物の見方」への問いかけは、思想にとどまらない、とても実学的なものだったのかもしれないなあ、と思えてなりません。

一方で、そのように認知していなかったのが日本の外交や「狭義の“実学”偏重」だったのかもしれませんね。(冒頭で引用したツイート参照)

 

以下は蛇足ですが、こうしてあらためて上原さんが「文明圏」という世界史像にこめた(かもしれない)平和への思いをかみしめると、世界史学習に重要なのはやはりその地域・国・民族ごとの文化を知ることであって、地球市民としてのアイデンティティ((を形成するのは違うのかなあ、と思ってしまいます。地球市民としてのアイデンティティは、それはそれでもちろん重要なことは否定しないのですが、世界史学習で優先的にやることでもないのかなあ、と。

まあ、この話はまたそのうちに。

*1:著作集9所収「物の見方・考え方」より

上原專祿ってどんな人?

今週、ようやく修士論文を提出しました。来月上旬に口述試験があるので、その前にできる限り多くの方からぜひコメント&指摘を頂きたく、親切な友人知人に拙稿を読んで頂いているところです。ありがたや。
ただ、上原專祿ってあんまり有名じゃないんですよね。歴史学では有名なんですが、教育学の人や一般の人にはあまり知られていないんです。
なので、上原さんってどういう人なのか、初めて彼のことを知る人向けにちょこっと書いてみます。

国民文化会議とは何か調べてみた

国民文化会議とは

 

 

修士論文で上原專祿という人について書いているのですが、彼が初代会長を務めたという「国民文化会議」なるものがよく分からなかったので、ちょっと調べてみました。

ウィキにはちゃんと項目があって( 国民文化会議 - Wikipedia )、概要も書かれてるんだけど、わたしのように初めて触れる人にとっては分かりにくい説明なんです。まあ辞書だから仕方ないですよね。

というわけで、自分なりに「ここを見ればどんな組織なのか分かる」ってところを抜粋して説明してみます。もし、いつか誰かが「国民文化会議」について調べようと思ったとき、ここで引用した記事やらリンクやらが役に立ったら嬉しいな。

 

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安藤美姫さんのお正月の「Instagram事件」について

 美姫ファン&スケヲタ界隈のみならず、何やらヲタ以外の方面にまで議論が広がっていた様子の「安藤美姫Instagram事件」。あ、この事件名は今わたしが適当につけました。自分の考えと、その他色々と気になった文章をまとめます。

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