ピョートル・ワイリ/アレクサンドル・ゲニス著、沼野充義/北川和美/守屋愛訳『亡命ロシア料理』(未知谷、1996年、※新装版は2014年)
「いい料理とは、不定形の自然力に対する体系(システム)の闘いである。おたま(必ず木製のでなければならない!)を持って鍋の前に立つとき、自分が世界の無秩序と闘う兵士の一人だという考えに熱くなれ。料理はある意味では最前線なのだ……。」*1
有名な本なのに今まで読んだことがなかったのですが、「料理のレシピ本だと思っていたら全然違った」という感想だけはよく耳にしていました。本当にその通りの本でした。
著者の二人は、1977年にソ連からアメリカへ亡命*2しました。ワイリのほうはラトヴィアのリガ生まれ・ゲニスのほうはリャザン生まれのユダヤ系ロシア人らしいのですが、訳者の沼野氏によれば「文学的教養から言えばもちろん、完全にロシア人と言っていい*3」二人です。その二人がアメリカで祖国ロシアの料理を思いながら書いたエッセイです。
この本の内容を一番よく表しているな~と思ったのが、タイトルにも引用した「食道楽の見地から世界を見ること。それがわれわれの世界観だ」*4と「料理とは、まぎれもなく言語である。それも、この上なく豊かな可能性をもった言語だ。」*5という一節です。わたし自身もロシア料理や中央アジア料理などの外国の料理を食べに行くのが大好きなのですが、「食を通じて文化を知る」という自分にとってはささやかな趣味が、こんなにも豊かな言葉で表現されるものなのか、と驚きました。東京外国語大学出身の友人から「言語は文化であり、文化は言語である」という言葉を聞いたことがあるのですが、「言語」を「料理」に置き換えたのがこの本なのかな、と思いました。
紹介されている料理は色々あったのですが、全体を通じて思ったのは、ロシア人のスープにかける情熱がすごい、ってことでした。スープはただの汁ではなく、メインの料理にだってなり得る存在だ!という主張をものすごく感じました。個人的な話なのですが、わたしは具だくさんのスープあるいはそれに準ずるものが大好きです。ボルシチはもちろん、日本風の野菜がゴロゴロ入ったカレーも好きだし、そのカレーが札幌B級グルメのスープカレーであればなおさら好きです。あまり量を食べるほうでもないので、具だくさんのボルシチの一つでもあれば夕飯ならそれで十分なくらいです。でも、日本の食卓だと、あんまり「スープがメイン」って多数派じゃないですよね。でも、この本の著者のロシア人はスープが大好きで、ロシアの具だくさんのスープ(お肉も入ってるような!)はメインにもなるんだということを書いていたので、なんだかロシア文化に自分の食の好みを肯定してもらえたような気分になりました。あなたは変じゃないよ、われわれの界隈では普通だよ、みたいな。
ジェンダー的視点からもちょっと興味深いことが書いてありました。著者は「女性解放が進んで、女性にとっては台所仕事という奴隷労働から解放されたけど、そのかわりに男性が趣味として料理をするようになった」と書いていて*6、それについては「たまたまあなたたちがそうだったというだけでしょう(料理のエッセイ本まで出しているんだから!)」とも思うのですが笑、この世代のロシア人(アメリカ在住)にとってはそんな風にまで言えてしまうほど女性解放は進んでいたんだな…と遠い目になりました。家事労働=つらいこと、ってちゃんと認識してくれてるんですねぇ。*7「女はボルシチを心の中で、ときには顔に涙を流しながら作る。ボルシチは、何百年も続いた奴隷生活の象徴だからだ。ボルシチを作りながら女は、虐げられた子供時代や失われてしまった青春、早すぎた老いを嘆く。そうして遅かれ早かれ、女はボルシチに自分を縛りつけている鎖に気付き、プロレタリアートではないが、『自分はこの鎖のほか失うべきものを持たない』と考えるようになる。」*8という言葉はすごく印象に残りました。ボルシチは奴隷生活の象徴…日本ならなんですかね、おにぎりとかですかね?
『亡命ロシア料理』読んでるんだけど、「ロシアでは河川が主要交通路だったおかけで色々な民族が統合されて偉大な国家ができたーーキューバからアフガニスタンにまでおよぶ」って言ってる部分があって笑えないけど笑った。ロシアのこういう皮肉のセンス好き。
— 見知らぬたん (@azusachka) 2017年1月5日
亡命ロシア料理、筆者がソ連からアメリカに亡命した人なんだけど、「いま、われわれはみんな南国に暮らしている」って書いてる部分があっておもしろい。シカゴの緯度はトビリシと同じ、とか。そういう感覚だから、ソチみたいに山も雪も降るところも南国の保養地みたいな感じになるんだね~
— 見知らぬたん (@azusachka) 2017年1月6日
アメリカで出版された本で「ロシアのレストランによくある料理」として変な名前の変なメニューが挙げられてるんだけど、それに対して「もしもこんなメニューのレストランの支配人がいたら、他のことはともかく制裁にかけては手の早いソ連当局にさっそく串刺しの刑にされているだろう」って書いてて笑笑
— 見知らぬたん (@azusachka) 2017年1月6日
亡命ロシア料理めっちゃおもしろい。この本の著者に日本のトマトスープボルシチを見せたら発狂するんじゃないだろうか。
— 見知らぬたん (@azusachka) 2017年1月6日