つい先日(2019/11/17)たまたま全日本ジュニアフィギュアスケート選手権を見に行ったんだけど、男子シングルとして出場していた西山真瑚くんがFSで「エデンの東」を使用していた。自分が今読んでいるのでタイムリーな出会いに驚いたし、それ以上に彼の「エデンの東」があまりにもすばらしくてすごく感動した。高難度ジャンプを跳べるわけではないので上位の成績を残せたわけではなかったけど、表現力がすばらしかった。スケーティングもきれいだし、上半身の使い方がすごく上手い。無駄な動きが一切なくて、常に何かを表現しているような演技だった。これがジュニアなのかと本当に驚いた。このすばらしいスケーターは誰!?と思ったら、西山くんは現在アイスダンスとシングルの二刀流で競技大会に出場している選手だった。なるほどアイスダンスかあ。
このようにスケートのプログラムから物語に入ると、実際に原作の映画なり小説なりを見ると「えっ、こんな話だったの…?」とがっかりしてしまうことが私は少なくない。例えば「ミス・サイゴン」とか…。浅田真央の手にかかればオリエンタリズム×女性蔑視の物語である「蝶々夫人」だって「愛を信じる強い女性の姿」になるんですよ。話が逸れたけど、スケートのプログラムって映画の予告編みたいなもので、その物語の感動するところや良い要素だけを詰め込んだ総集編または同人誌みたいなものなんだよね。だから原作(?)を見てがっかりするのも、ある程度は仕方ないのかなと思う。
でも今のところ『エデンの東』はスケートのプログラムから得た感動をそのまま体験できそう。
『エデンの東』はカインとアベルの物語がテーマ?モチーフ?になっているらしい。今のところトラスク家の兄弟(アダムとチャールズ)がカインとアベルにあたるみたい。第2巻の終盤でサミュエル・ハミルトンとアダム・トラスク、そして使用人のリーがアダムの息子たちに名前をつけるシーンがすごく良かった。罪は先祖から送り伝えられたものと「言い訳」することでほっとした、というアダムの話にすごく共感した。
私も昔はキリスト教の教えである「原罪」というのに納得がいかなかったんだよね。なんで何も悪いことしてないのに生まれたときから罪深いなんて言われなきゃいけないんだと。でも今年の前半に三浦綾子を読んで彼女の「原罪」観に触れたおかげでちょっと理解できたような気がして、そしてまた『エデンの東』のおかげで理解が深まったような気がする。私たちは故意であるかどうかにかかわらず何かしらの罪を持っている可能性があるけれど、だからといってそれを悲観して人生を暗いまま過ごす必要はない。なぜなら、自分の背負っている罪は先祖から送り伝えられたものである(可能性がある)から。
まだ2巻なのでこれからどうなるのか分からないけれど、2巻でもうすでに私はすごく感動している。読んでよかった。折り返し地点に来てしまって悲しい。
そして当初理解したかった「ティムシェル」だけど、文庫本の巻末に掲載されている巽孝之氏の解説にそのヒントがあった。『エデンの東』とはカインとアベルに似た運命をたどる物語に見えるかもしれないけれど、最終的にスタインベックは「人間の側の選択可能性を模索することにより、聖書的価値体系を根本から転覆しようとしている」(344頁)らしい。まだ折り返し地点だから分からないけれど、これすごくティムシェル(自分の運命は自分で切り拓く)っぽくない?ここから物語がどんなふうに動いてティムシェルに繋がるのか楽しみ。
あとは細かいところ。
・私はサミュエル・ハミルトンめちゃくちゃ好き。頭が良く教養があって妻のこともよく理解していておしゃべりで、サミュエルと結婚したい。彼の容姿について言及した箇所ってあったかな?忘れちゃったけど、たぶんサミュエル・ハミルトンはイケメンだと思う。そして私も「無口の人間は賢い」より「言葉を持たぬ人間は考えを持たない」の方に一票かな。
・アダムの家で使用人をしているリーも好き。こういうキャラめっちゃ好き。教養があるキャラは基本的に好き。
・オリーブ・ハミルトンが飛行機に乗った話が面白かった。
以下おまけ。
それにしても今年は三浦綾子と『エデンの東』を通じてたまたまキリスト教文学(と呼んでいいのか分からないけど)に出会った年だった。宗教は自分が悩んだり苦しんだりしてるときにこそ心に響くものなので、だから人間と宗教はその人が必要としてるタイミングで自然と出会うものだと私は思ってる(悩んでいないときは心に響かないから出会わない)んだけど、そういう意味で今年は自分にとってキリスト教の教えと出会うべき年だったのかもしれない。私はクリスチャンではないけれど、たぶんそういうタイミングだったんだと思う。去年亡くなった祖父のお葬式はキリスト教の教会で出した(祖父はクリスチャンではないけど生前から祖父が希望してたらしい)ので、縁もあったのかな。