@AZUSACHKA 's note

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ある家族の歴史を通じて日本インドネシア史を知る - 『南島に輝く女王 三輪ヒデ: 国のない女の一代記』感想

倉沢愛子『南島に輝く女王 三輪ヒデ: 国のない女の一代記』(岩波書店、2021年)の感想です。友だちに教えてもらったのがきっかけで読みました。

 

 

書名にもなっている「三輪ヒデ」は1902年に函館にて生まれた。1920年、18歳のときに白系ロシア人のニコライ・グラーヴェと結婚する。亡命ロシア人にとって日本はあくまでも亡命の経由地であることが多かったらしく、ニコライと三輪ヒデは結婚してすぐにインドネシア渡航した。渡航後はインドネシアプランテーションを経営した。そのうちにアジア太平洋戦争が始まり、ヒデは日本人として植民地支配に加担もしながら戦争を生き抜く。戦後はアメリカに移住もするが、最期はインドネシアへ帰る。彼女には9人の子どもがいるが、全員がインドネシアで生涯を過ごしたわけではなく、アジア太平洋戦争後、家族の居住地はそれぞれアメリカ・オランダ・日本・インドネシア…と散り散りになっていく。本書は、ヒデとその家族の歩みを追うことで、オランダと日本の植民地支配やインドネシアの独立、それに伴うヒデたちの国籍問題を知ることができるようになっている。

 

日本人のアジア太平洋戦争のイメージが「原爆」「空襲」(あるいは戦艦やゼロ戦など)にとどまってしまい、アジア諸国に対する加害の歴史を日本人はあまり知らない…というのはよく知られたところだと思うけど、中でも特に東南アジアに対する加害は東アジア以上に知られていない。(恥ずかしながら私もあまり詳しくはないのだけど、修士課程時代の同期がそういう問題意識をもって日本の平和教育を研究をしていたので、たくさん教わった。)

 

この本でも、日本の加害が多く語られているわけではない。ヒデさんの加担を通じて少し分かる程度。ただ、正直全く知らない人のほうが多いんじゃないかと思うので、「帝政ロシアの元貴族と結婚してロシア正教会で式を挙げ、そして見知らぬ土地へ…ロマンチック!」みたいなイメージで読み始めた人、つまり私みたいな人間にとっては、あまりよく知らないインドネシア史のことを学ぶ良い機会になった。中国や韓国と同様、本来ならもっとセンシティブな関係になっててもおかしくない国なんだよね…

 

ちなみに私は上記の通り「なんてロマンチックな…!」と思って読み始めたんだけど、ヒデとニコライは最終的に離婚してしまうらしい。離婚のだいぶ前から別居しており、娘が母のヒデから聞いたところによると、ニコライには他に女がいたらしい。まあ現実はそんなもんだよね…

 

三輪ヒデは戦時中、現地在住の日本人として日本軍などに協力し、現地コミュニティの中心的な存在としてけっこう良い暮らしをしていたらしい(それが「南島の女王」というタイトルにつながる)。なので、けして清廉潔白な人ではないんだけど、私はなんとなくスカーレット・オハラみたいだなと思って好感を持った。戦時中の罪で刑務所に収監もされたんだけど、その裁判でインドネシア人(つまり植民地支配の被害者側だよね)の弁護士が立てられたんだけど、「日本軍の責任は自分がとる」と言い切って自分で自分の弁護をしたらしい*1。「みんなそうしてたから」「そうせざるを得ない雰囲気だった」「そうしないと生きていけなかった」等の責任逃れをせず、自分の罪を受け止めていたところが良いなと思った。

 

ただ、この本が最終的に彼女をどう描写したかったのかについてはよく分からなかった。

夫ニコライの浮気発覚前は「日本女性(おそらく『夫のあとを3歩下がってついていく』的なイメージで使われている)」として夫によく仕えていたらしいが*2、夫の浮気発覚後は上記のように「女王」として振る舞うようになったらしい。
けれど、彼女の孫に話を聞くと、口々に「オーマ(おばあちゃん)は日本女性だった」と語るらしい。「常に自分を失わず、一見自己主張が強いようではあるが、しかしそれでいて、究極的には、家族を支え、家族のために身を捧げることを常に自分の生き方の指針としてきた日本の女*3」とのことなんだけど、ちょっとこの孫の話は唐突だなと思った。「女王」と「自分を犠牲にしてでも家族に仕える日本女性」はあまり両立しないのでは…?

日本人の目から見たら十分に「女王」のように見えるけれど、外国から見たら「日本女性(自己犠牲)」に見えたってことなのかな。あるいは、孫たちによるジェンダーバイアスもあるのでは?と思ってしまった。例えばヒデのどんな部分を見て「日本女性」だと思ったのか、もう少し記述してほしかった。

 

*1:86頁

*2:93頁

*3:ページ控え忘れのため引用ページ不明。ごめんなさい