@AZUSACHKA 's note

わたしの感想をわたしが読みたい。

『戦争は女の顔をしていない』感想(+『鬼滅の刃』の女性キャラ描写について)

第2次世界大戦の際、ソ連軍やパルチザン部隊などには女性も参加していた。看護師や衛生兵としてだけでなく、実際に銃を手にとった狙撃兵もいた。この本は、作家アレクシエーヴィチによってまとめられた、彼女らのオーラル・ヒストリーといえる。
ずっと前から気になっていたところ、来月の「100分de名著」で取り扱われるらしいと知ったので読んでみた。

 多くの女性が出てくるので、本全体の感想を書くのはなんとなくそぐわないかな…と思う。どの女性も違う”顔”を持っているから。というわけで前半部分は気になったところのメモ程度の箇条書き。

後半で『鬼滅の刃』と関連付けた話をします。

 

前半(気になったところ簡単にメモ)

  • 男性の戦争体験との一番の違いは、当然のことながら徴兵された女性はほとんどいない点。徴兵ではなく、労働者としての徴用(?)はあったみたいだけど。兵士として戦争に参加した女性はみんな”祖国を守るため”というモチベーションで自ら兵士になっていた。
  • にもかかわらず、戦後の兵士の扱いは男女で大きく異なっていた。男性なら、たとえ足を失っていたとしても結婚相手が見つかるけれど、兵士として従軍した女性は結婚が難しかった。戦後、戦闘員だったことを隠して生活した女性も多かった。そういう女性は貧しい生活を送らざるを得ないことが多かった。
  • 結婚した女性の相手は、戦時に軍隊で見つけた人が多かったみたい。「情勢の〇〇がハンサムだった」みたいな話もよく出てきた。
  • 戦地で不倫していた女性の話もあったけど、周りが男性ばかりで身の危険があったから偉い人のそばにいるようにした…という話だった
  • 想像していたよりも「女性ならではの苦労話」はあまり多くなかった。もちろんたくさん出てきたけれども、想像よりは少なかった。生理で苦労していた女性もいたけど、生理が止まってしまった女性もいた。「女性はこういう苦労をしていた」という本ではない。
  • 想像以上に若い女性の従軍者が多かった。生まれて初めての生理を戦地で迎えた少女の話がショックだった。そこまで幼かった女性は極端にしても、当時10代だった女性の話が本当に多かった。
  • 女性であることを隠して戦艦に乗った女性兵士(後に将校になった)の話が少女漫画みたいだった
  • 前線にいる夫を探して旅をしてようやく見つけた女性の話は映画みたいだった
  • 恋していた相手が亡くなって、埋葬時にキスをするシーンはセーラームーンの旧作アニメのラストを思い出した。うさぎちゃんはキスできなかったけど…
  • 戦場でも「女性らしい」装いをしたがるなど「女性らしさ」を忘れなかった…という部分はちょっと気になったけど、たぶんこの場合の「女性らしさ」は「人間らしさ」に言い換えられるなと思った。

以上、ざっくりですが本の感想でした。

以下は、最近沼に落ちている鬼滅の刃に関連した感想です。がっつりネタバレしてるのでご注意を)

 

後半(『鬼滅の刃』に関連した感想)

鬼滅の刃』はラストでいわゆる「最終回発情期間(物語のラストで唐突にカップルがたくさんできること)」を迎えた物語だった。具体的に言うと、こんな感じ。

  • 炭治郎(主人公)&栗花落カナヲ(炭治郎の同期、アオイの家族的存在)
  • 善逸(炭治郎の同期)&禰豆子(炭治郎の妹)
  • 伊之助(同上)&神崎アオイ(鬼殺隊の同僚、カナヲの姉的存在)

これ、確かにわたしもちょっとモヤモヤする部分だった。

 

でも『戦争は女の顔をしていない』を読んだらちょっと認識が変わった。むしろ「元鬼殺隊女性が元鬼殺隊男性と結婚するのは当たり前では!?!?(それ以外の選択肢が難しいのでは)」という認識になったんだよね。

『戦争は女の〜』では、第二次世界大戦に戦闘員として従軍していた女性の生きづらさがよく言及されていた。「まともな女なら戦争なんて行かない」「戦地で男に囲まれて何してたんだか」なんて言われて、戦争に行ってたことを隠していたから傷痍軍人としての恩給も受けられず、貧しい生活を送らざるを得なかった女性がたくさんいた。

戦後、結婚した女性もいたけれど、彼女らの相手は元同僚が多かった。

 

だからカナヲやアオイが炭治郎や伊之助を選んだのは当然だったのかなと思う。

むしろ、炭治郎や伊之助以外の選択の余地があんまりないというか。カナヲもアオイもも大切な家族を失っているのに、あの後「鬼との戦いを知らない一般人」と新しく出会って、結婚して生活して…ってあんまり想像できない。なんにも知らない、平和に生きてきた男性に自分のトラウマとか戦いとか語れる?私はそれけっこう難しいと思う。でも人生は長いし辛いから、誰かと寄り添って生きていくのも大事。その「誰か」を選ぶとき、二人のこれまでの人生を知っていて、痛みを共有して支え合える相手を…ってなると必然的に元同僚なのかなって。

(もちろん、必ずしも誰かと結婚する必要なんてないんだけど、誰かと結婚するなら相手は…って話ですよ!
蝶屋敷の5人で生きていく選択肢もあるだろうけど、ずっと5人一緒にいるのもそれはそれで辛いかも。適度に離れて新しい生活したほうが前を向けるだろうし。)

 

『戦争は女の顔をしていない』、戦争に兵士として従軍した女性の話がたくさん出てくるので、(鬼滅に限らず)バトルもののフィクションにおける女性イメージの解像度がなんとなく上がったような気がする。

これも鬼滅の話だけど、甘露寺蜜璃ちゃんが「出会いを求めて」鬼殺隊に入隊したのもあながちズレたものでもなかったんだなと思った。戦場には、私が想像するよりずっとたくさんの恋が生まれてた。恋というより、戦争で傷ついた人々が互いに支え合うためにつがいになった、という話なのかもしれないけど。

「物語の終盤に仲間内でカップルが成立しまくるなんてありえない」と思うほうがむしろステレオタイプなのかもしれない。