@AZUSACHKA 's note

わたしの感想をわたしが読みたい。

【読書】町田樹の「ティムシェル」を理解したくて、6年越しで『エデンの東』を読み始めてみた(2/4)

 

エデンの東 新訳版 (2)  (ハヤカワepi文庫)

エデンの東 新訳版 (2) (ハヤカワepi文庫)

 

町田樹を思い出しながら読む『エデンの東』第2巻。


つい先日(2019/11/17)たまたま全日本ジュニアフィギュアスケート選手権を見に行ったんだけど、男子シングルとして出場していた西山真瑚くんがFSで「エデンの東」を使用していた。自分が今読んでいるのでタイムリーな出会いに驚いたし、それ以上に彼の「エデンの東」があまりにもすばらしくてすごく感動した。高難度ジャンプを跳べるわけではないので上位の成績を残せたわけではなかったけど、表現力がすばらしかった。スケーティングもきれいだし、上半身の使い方がすごく上手い。無駄な動きが一切なくて、常に何かを表現しているような演技だった。これがジュニアなのかと本当に驚いた。このすばらしいスケーターは誰!?と思ったら、西山くんは現在アイスダンスとシングルの二刀流で競技大会に出場している選手だった。なるほどアイスダンスかあ。

 

このようにスケートのプログラムから物語に入ると、実際に原作の映画なり小説なりを見ると「えっ、こんな話だったの…?」とがっかりしてしまうことが私は少なくない。例えば「ミス・サイゴン」とか…。浅田真央の手にかかればオリエンタリズム×女性蔑視の物語である「蝶々夫人」だって「愛を信じる強い女性の姿」になるんですよ。話が逸れたけど、スケートのプログラムって映画の予告編みたいなもので、その物語の感動するところや良い要素だけを詰め込んだ総集編または同人誌みたいなものなんだよね。だから原作(?)を見てがっかりするのも、ある程度は仕方ないのかなと思う。


でも今のところ『エデンの東』はスケートのプログラムから得た感動をそのまま体験できそう。
エデンの東』はカインとアベルの物語がテーマ?モチーフ?になっているらしい。今のところトラスク家の兄弟(アダムとチャールズ)がカインとアベルにあたるみたい。第2巻の終盤でサミュエル・ハミルトンとアダム・トラスク、そして使用人のリーがアダムの息子たちに名前をつけるシーンがすごく良かった。罪は先祖から送り伝えられたものと「言い訳」することでほっとした、というアダムの話にすごく共感した。
私も昔はキリスト教の教えである「原罪」というのに納得がいかなかったんだよね。なんで何も悪いことしてないのに生まれたときから罪深いなんて言われなきゃいけないんだと。でも今年の前半に三浦綾子を読んで彼女の「原罪」観に触れたおかげでちょっと理解できたような気がして、そしてまた『エデンの東』のおかげで理解が深まったような気がする。私たちは故意であるかどうかにかかわらず何かしらの罪を持っている可能性があるけれど、だからといってそれを悲観して人生を暗いまま過ごす必要はない。なぜなら、自分の背負っている罪は先祖から送り伝えられたものである(可能性がある)から。
まだ2巻なのでこれからどうなるのか分からないけれど、2巻でもうすでに私はすごく感動している。読んでよかった。折り返し地点に来てしまって悲しい。

 

そして当初理解したかった「ティムシェル」だけど、文庫本の巻末に掲載されている巽孝之氏の解説にそのヒントがあった。『エデンの東』とはカインとアベルに似た運命をたどる物語に見えるかもしれないけれど、最終的にスタインベックは「人間の側の選択可能性を模索することにより、聖書的価値体系を根本から転覆しようとしている」(344頁)らしい。まだ折り返し地点だから分からないけれど、これすごくティムシェル(自分の運命は自分で切り拓く)っぽくない?ここから物語がどんなふうに動いてティムシェルに繋がるのか楽しみ。


あとは細かいところ。
・私はサミュエル・ハミルトンめちゃくちゃ好き。頭が良く教養があって妻のこともよく理解していておしゃべりで、サミュエルと結婚したい。彼の容姿について言及した箇所ってあったかな?忘れちゃったけど、たぶんサミュエル・ハミルトンはイケメンだと思う。そして私も「無口の人間は賢い」より「言葉を持たぬ人間は考えを持たない」の方に一票かな。
・アダムの家で使用人をしているリーも好き。こういうキャラめっちゃ好き。教養があるキャラは基本的に好き。
・オリーブ・ハミルトンが飛行機に乗った話が面白かった。


以下おまけ。
それにしても今年は三浦綾子と『エデンの東』を通じてたまたまキリスト教文学(と呼んでいいのか分からないけど)に出会った年だった。宗教は自分が悩んだり苦しんだりしてるときにこそ心に響くものなので、だから人間と宗教はその人が必要としてるタイミングで自然と出会うものだと私は思ってる(悩んでいないときは心に響かないから出会わない)んだけど、そういう意味で今年は自分にとってキリスト教の教えと出会うべき年だったのかもしれない。私はクリスチャンではないけれど、たぶんそういうタイミングだったんだと思う。去年亡くなった祖父のお葬式はキリスト教の教会で出した(祖父はクリスチャンではないけど生前から祖父が希望してたらしい)ので、縁もあったのかな。

【読書】町田樹の「ティムシェル」を理解したくて、6年越しで『エデンの東』を読み始めてみた(1/4)

 

エデンの東 新訳版 (1)  (ハヤカワepi文庫)

エデンの東 新訳版 (1) (ハヤカワepi文庫)

 

町田樹ソチ五輪シーズンに掲げたテーマ「ティムシェル(汝、治むることを能う)」。この言葉の意味を彼は「自分の運命は自分で切り開く」と解釈したと語っていた。

これはフィギュアスケートファン(少なくともソチ五輪の頃から見てきた方)なら誰でも聞いたことのあるフレーズだと思う。でも私は「一体ティムシェルって何なんだ…」と思ってから6年近く経ったにもかかわらず、結局「エデンの東」の映画やドラマを見ることもせず原作小説も読まずストーリーを調べることすらしなかった。そんな風に分からないことや興味が湧いたことをそのままにしておくのは、あまり良いことではない。向学心に欠ける。

何よりフィギュアスケートで「エデンの東」の主題曲は町田樹以外も使用した/している選手がいて、私が知ってるだけでも例えば永井優香が使用したり、今シーズンでは山本草太が使用したりしている。スケートファンにとって「エデンの東」は「白鳥の湖」とか「ロミオとジュリエット」並に有名な曲なのだ。そのストーリーを一切知らないのはスケートファンとしてどうなんだ??もはや「エデンの東」はスケオタの基礎教養科目の一つなのでは??

 

ということで、わたしが「エデンの東」という物語を最初に知ってから6年。ようやく小説を読み始めてみました。

 

とはいえ、まだ一巻しか読んでいないので、特に感想はあんまり無いです。まだ物語の序盤も序盤、起承転結の起、ゲーム・オブ・スローンズでいうとまだシーズン1、って感じ。町田樹っぽさはまだあまりない。

でも翻訳物なのにすらすら読める。読みやすくて嬉しい。「ティムシェル」というヘブライ語の名言(なの?)があまりにも有名すぎて、キリスト教ユダヤ教の考えが通底している難しい話なのかなー…と思っていたんだけど、少なくとも1巻を読む限りでは全然そんなことなかった。

一番印象に残ったのはトラスク家の父と子の関係。父サイラスを嫌っていたアダム(兄)のことを父は愛していて、父を慕っていたチャールズ(弟)のことを父はあまり好きでなかった。チャールズとアダムも仲の良い兄弟というわけでなく、父に愛される兄を妬んだ弟チャールズが兄アダムに暴力を振るうこともあった。でも、何だかんだいって遠く離れていても互いに手紙を書いて弟が兄に会いたがったり、再会して一緒の家に住んだり、かと思えば案の定ケンカになったりと、別に仲が良いわけじゃないけど互いに家族として大切にしてる(?)感じが伝わってきて面白かった。いや、大切にしてるというより、二人とも孤独だし他に家族がいないから縁を切るに切れない感じなのかな…。「家族っていいな」とは個人的には思わないし、アダムとチャールズも絶対にそんな風には思わないんだろうけど、その微妙な空気感(仲が良いわけじゃないけどまぁ悪くはない)がなんだかリアルだなと思った。

 

続きはちょっとずつ読んでいきます〜

 

ティムシェルが出てくるまでは遠い道のり。

【映画】「バーレスク」感想(2019年、チェコ) - チェコの渡辺直美がバーレスクで輝く話

※前半はネタバレなし、後半はネタバレありです。

バーレスク

バーレスク

 

いつもはFilmarksに映画の感想を書くんだけど、どうしてもこの映画を見つけられなかったのでブログで。

チェコで教師として働く女性が自分の体型のコンプレックスを乗り越え、バーレスクによって輝く話です。これすごく面白かった!!おすすめ!!!

 

ストーリー

小学校で働くベティは、かなりふくよかな自分の体型にコンプレックスを抱えている。体型を隠す服を着て、児童からは体型をバカにされることもある。一方で彼女はスマホでよくバーレスクの動画を見て、その世界に憧れていた。ある日、バーレスクのスタジオのレッスンに行く友人のロッタを車で送ってあげたところ、スタジオのインストラクターであるサロームからレッスンに誘われる。はじめは恥ずかしがるベティだけど、体のラインが出るセクシーな服を着たり、バーレスクダンスに夢中になったりすることで、少しずつ変わっていく…。

 

感想

ベティの変化がすごいんですよ。はじめはコンプレックスで体型を隠す服を着てオドオドしてたのに、セクシーな服を着ると、同じ体型なのに全く印象が違うんです。やっぱり女性は自分に自信を持って堂々としていることで輝くんだよね。タイトルの「渡辺直美」は、主人公のキラキラが彼女に似てるなと思ったのでつけました。体型なんて関係なくThis is meって感じでキラキラしてるベティの姿がめちゃくちゃ良かった。とってもきれいだった〜素敵だった〜〜!!

ロームの言葉の一つ一つがフェミニズム的でとっても現代的なのも良かった。

 

コンプレックスの話は主人公ベティだけでなく彼女が勤める小学校の生徒にも通じる。ネタバレになるから書かないけれど、ベティがコンプレックスを乗り越えて輝く姿は周りの人間にも良い影響を与えていきます。

 

チェコ映画ってたぶん初めて見たんだけど、こんなストレートの球をストライクゾーンに投げ込むような映画があるんだね。

 

アマプラで見れるのでぜひ見て欲しいです。おすすめ!!!!

 

 

以下はネタバレあり感想を箇条書きで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • ほんっっっとにスティーヴンみたいな「教師の見た目をバカにする生徒」っていっぱいいるよね!!!!彼は特に暴力的だけど、暴力的じゃなくてもみんなそうなのよ。それに対してベティは当初教師として叱っていたけど最終的には一人の人間として怒ってしまった。ベティのヨーグルトぶっかけは先生としてあってはならないことだけど、教師も人間なのだから傷付けられれば怒ったっていいと思う。いつでも冷静に叱れるわけじゃない=教師だって人間なんだってことを子どもも大人も知るべきだよね。
  • ティーヴンは子どもだから「他人の体型をバカにしない」というマナーを身に付けられていない。でも子どもとはいえ、他人を体型でバカにしてはいけないとまだ理解していないとはいえ、相手を傷つけたことには変わりないから、その罪に対して罰は受けるべき。ベティだって知らないこととはいえスティーヴンを病気のことで傷つけてしまったことに謝ったんだからスティーヴンも謝るべきだよ!!!!!映画では描かれなかったけど、あの感じだとスティーヴンには伝わったと思うから、きっと彼とは仲直りできるよね。
  • でもなんで学校はスティーヴンの病気を教員の中で共有してなかったんだろうね。そういうのって担当学年が違ったとしても共有されるんじゃないの?ベティが知らなかったのは管理職の責任だよ〜〜
  • ベティがスティーヴンにコンプレックスを隠す必要はないと訴えた件。誰もがコンプレックスをさらけ出さなきゃいけないわけじゃないんだけど、スティーヴンはコンプレックスのせいで周囲と上手くいかず怒りがちになってたからね…スティーヴンにとってはオープンになるのは必要なことなんだよね。
  • 体育教師(名前忘れた)は若いうちにハゲてE〇になって女にモテなくなりますように。
  • 出来レースで選ばれていたロッタだけど、彼女もまたスタジオのスタッフ(名前忘れた)によって体型を侮辱されて心を病んでいた。すでにあんなにスリムな女の子に対して「ブタ」と言うなんて…いや太っててもそんなこと言っちゃダメなんだけど…そんな脅迫的なことを言ってロッタが拒食症になったらどう責任取れるっていうの!?あいつもいつかハゲてデブになってスタジオの仕事を失いますように。

【読書】鈴木ふさ子『氷上のドリアン・グレイ 美しき男子フィギュアスケーターたち - 文芸評論家によるトリノ・バンク世代の男子スケーター批評

 

氷上のドリアン・グレイ―美しき男子フィギュアスケーターたち

氷上のドリアン・グレイ―美しき男子フィギュアスケーターたち

 

オスカー・ワイルド研究が専門の文芸評論家で尚且つフィギュアスケートの取材も長年に渡って続けている著者によるフィギュアスケート批評の本。
すごく面白かったー!文芸評論が専門なだけあって、物語を演じるタイプのプログラムへの理解が深いのを感じるし、何より扱っている男子スケーター(羽生結弦、髙橋大輔、ブライアン・ジュベール、トマシュ・ヴェルネル、ジョニー・ウィアー)にそれぞれ文学作品の登場人物になぞられて付けられた以下の各章タイトルが面白い。

 


4回転にスケート人生を捧げたジュベールのことをアーサー王伝説の騎士に例えるなんて、めちゃくちゃ彼を肯定してるし、愛を感じる。


こんな風に文芸批評の切り口でスケーターについて書いているのがすごく面白い本です。


ただ、この本は、この各章タイトルから見ても分かる通り、男子スケーター全般を扱ったというよりは、著者の特にお気に入りのスケーターを取り上げたものなのだと思う。羽生結弦以外の4人はみんな同じ時代を戦っていた同世代のスケーターであるのも著者の好みを伺わせる。ブックメーター等では「著者の好みに偏りすぎ」という感想を見かけたけれど、好みに偏っていること自体についてはメディアの記事でもなく学術本でもない著者のエッセイに近い本だからそれでいいんじゃないかと私は思う。


「氷上のドリアン・グレイ」というタイトルにぐっときた人の好みには合ってるんじゃないかな。


ただ、一つだけ好みの問題とはいえ見過ごせないなと思ったのは、ちょっとスケーターのルックスへの言及が多いんじゃないのかな…という点。入口がジョニー・ウィアーなら確かに美男子や美少年スケーターに目が行くのも仕方ないのかなとは思うし、著者はスケートのスポーツ的な面よりもアーティスティックな面が好きなんだろうと思うけど、スケートは演技の美しさを評価するアートであって、けして容姿を評価するアートじゃないので、好みや個人の自由の範囲とはいえ、not for meな書きぶりだった。


でも全体的にはすごく面白かった!高橋、ジュベール、トマシュ、ジョニーを見てた世代のスケオタにはすごくおすすめしたい。

【読書】ちくま評伝シリーズ『フリーダ・カーロ〜悲劇と情熱に生きた芸術家の生涯』 - フリーダ・カーロについて初めて読んだ本

 

 

ちくま評伝って初めて読んだ。1番最後に国語の試験のような「設問」があって、読み終えたあとにもう一度内容を振り返ることができるようになってるんだね。

とあるカフェに入ったらこの本が置いてあって、子ども向けで読みやすかったし時間もあったのでその場で一気に読んでしまった。カフェの店員さん、長居してすみません。

 

フリーダ・カーロのことは前から知っていたし絵も好きだったんだけど、彼女の生涯についてはほとんど何も知らなかった。だから他の伝記/評伝と比べてこの本がどうかというのは分からないのだけど、淡々と彼女の人生を描きつつもところどころ筆者による解釈が伺えて興味深かった。

 

フリーダ・カーロって絵もすごいけど本人も面白い人なんだね。以下、印象に残ったことのメモ。

  • 本当は1907年7月6日生まれなのに「メキシコ革命とともに生まれた」ということにしたくて1910年7月7日生まれだと自称していた
  • 父親はドイツ出身のハンガリーユダヤ人で母親はインディオの血を引くメキシコ人という多様なルーツを持っていた(それは南米出身の人であればそんなに珍しいことでもないのかもだけど…)
  • 学業成績は優秀で、国立予科高等学校という大学へ進学する予定の高校生が通う学校に入学した数少ない女子生徒のうちの一人だった。家が特別お金持ちというわけではないけれど、確かな高等教育を受けていた、知的な人だった
  • 社会主義にも関心があった。画家として社交界に顔を出すこともあったけれど、世の中の貧困に気付かない社交界への嫌悪感と自分自身も高等教育を受けてきたブルジョワに近い人間であることに葛藤を抱いていた
  • メキシコに亡命したトロツキーと恋をした(トロツキーって!!)
  • イサム・ノグチとも恋をしていた

 

フリーダ・カーロ社会主義に関心があった、というよりはもっとシンプルに世の中の貧困に関して問題意識なのかな…?そのへんはこの評伝だけじゃちょっとよく分からなかったけど、彼女の絵は自分自身の受けた傷だけから生まれたのではなく、彼女の受けた教育とか、社会への問題意識とかからも生まれたものなのかなと思った。

 

子ども向けの本だし、本には書かれていないことが実際にはもっとたくさんあるんだろうけど、初めて読むにはちょうどいい重さだったと思う。子ども向けのジュニア新書とかって大人でも普通に勉強になるものいっぱいあるよね。読んでよかった。

 

この本では冒頭でちょっと触れられていただけだけど、フリーダ・カーロって一時は忘れられていたけれどフェミニストによって再び注目されたんだってね(70年代のこと)。次に読むとしたらフェミニズムの視点から彼女について述べたものがいいなあ。何か良い本あるかな。

【読書】織田信成『フィギュアほど泣けるスポーツはない!』 - おだくんが「たくさんの人に楽しんでもらう」ために作った本

 

フィギュアほど泣けるスポーツはない!

フィギュアほど泣けるスポーツはない!

 

 

図書館で本を物色していてたまたま目についたので手に取ってみた。出版されたのが2018年1月なので、タイミングとしては平昌五輪の日本代表が決定した直後くらいのもの。なので2019年7月に読むには少し内容が古いのだけど、織田くんが「フィギュアは泣ける」ということについてどんなこと書いてるのかなと興味があったので読んでみた。

 

内容としては、そんなに「フィギュアは泣ける!」という話は書かれていなかった。
タイトルから勝手に私が想像してたのは、「フィギュアスケートのプログラムで織田くんが今まで泣いたものについて書いてるのかな?村上佳菜子のThink of me*1とかについて熱く語ってくれてるのかな?」という内容だったのだけど、ちょっと違った。前半部分が彼の半生について振り返ったもの、中盤が平昌五輪をめぐる男女シングルの世界&日本の状況、後半が羽生結弦浅田真央について書かれたものという、本が出版されたタイミングに求められることに全振りした内容だった。たぶんこの本はスケオタではなく幅広い層に読んでもらうための本なんだと思う。

 

それは織田くんの半生について書かれた章でも同じで、例えば彼はとある事情で1シーズン試合に出なかったことがあるのだけど、それについてこの本では全く触れていなかった。また、師事を受けたことのあるコーチとしては母親やリー・バーケル氏の名前しか挙がっていない。自分の半生について綴った本だからといって必ずしも何もかもさらけ出す必要なんてないのだけど、あれ?何も触れないの?スルー?というエピソードはちょこちょこあった。ただ、この本が想定している読者がスケオタではなくスケートに興味を持った幅広い層なのであれば、省いて当然かな。コーチである母親との関係についても、かなりマイルドに書かれてはいるけれど、掘り下げれば子育てのけっこう根深い問題に繋がるような話だったしね…。
そのへんを上手くまとめたのは、ネガティブな内容を省いたというよりは、読む人に楽しんでもらうことに全振りした織田くんの人柄なのかなと思う。自分の半生について綴った本だからといって必ずしも何もかもさらけ出す必要なんて無いしね。

 

でもいつか、もし機会があれば、スケオタ向けのマニアックなスケート語り本とか出してほしい。織田くんの解説は面白いし、織田くんがどういうポイントを見て「泣いて」いるのかめちゃくちゃ気になるので。羽生結弦についての章では、羽生くんとはスケートについて語り合うほぼ唯一の仲間とまで書いてあって、織田くんも羽生くんも他人の演技を見るのが好きだし語るのも好きらしいので、たぶんそういう本も出せるんじゃないかなと思うんだよね。いつか!!待ってますおだくん!!

*1:2014年NHK杯のSPで村上佳菜子がこれを演じた直後に号泣してる織田くんの姿がカメラで抜かれてた

【読書】北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』感想 - 批評家は深い意味を読み解く方が楽しいから批評する

 

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

 

Twitterでも有名な「saebou」さんこと北村紗衣さん。ずっと前からTwitterでフォローしていて、この本の下地になっているwezzyでの連載やブログの記事も時々読んでた。(「時々」というのは、インターネットの情報はあっというまに他の色んな情報に流れていってしまうので、Twitterでご本人をフォローしていても記事に気がつかず読まないままになってしまうことがあるということです。)


そんなsaebouさんの連載をテーマによって整理された形で読めるのがこの本。全体を通じて1番印象に残ったのは、「まえがき」に書いてあった【批評をすると「なんでわざわざそんやことをするんだ、純粋に楽しめばいいじゃないか」と言う人がいるけれど、自分は深い意味を読み解くほうが楽しいからやっている(10頁)】という内容だった。
批評をするとどうしてもその作品の良くないところも指摘することになるけど、良くないところを指摘する=けなしたい ってわけじゃないんだよね。対象の作品の良いところも良くないところも含めて楽しむのが批評なのかなと思う。
わたしも小説とか映画とか好きだけど、どうしても「これあんまり面白くないな…」って作品はある。でも批評しようと思って見たらどんな作品でも楽しめるのかもしれない。
それぞれのエッセイの内容ももちろん面白かったんだけど、それ以上に「深い意味を読み解くほうが楽しいから」という言葉が刺さった本だった。全体を通じて、どのエッセイでもその言葉を一番感じた。

 

ちなみにタイトルの副題は「まえがき」に書いてあった「切り口を見つけてそれに沿った分析をしてそのキーワードをタイトルにつける」をさっそく真似したものです。ちょっと照れくさいけど書き方の勉強になるのでしばらくマネしてみようと思います。

 

あとは細かいとこ箇条書きで。
・「自分の中のマギー(自分が内面化してしまっている社会的抑圧)に対抗するために、マギーに対抗する幻を自分の中に住まわせる」というのが面白かった。本の中では実在の人間が紹介されていたけれど、わたしはどんなフェミニストであっても人間である以上は長所も短所もある(人間を信仰の対象のように捉えてはいけない)と思ってるので、わたしなら物語の中の女性を選ぶかな?と思った。最近なら実写版アラジンのジャスミンとか、ちょっと前だとマッドマックスのフュリオサとか、この本で紹介されたもののなかでは『アントニークレオパトラ』のクレオパトラとか。GoTのデナーリスもいいよね、終盤以外…。かっこよくてフェミニズムのアイコンになりそうな女性はたくさんいるよね。自分のアイコンになる女性は誰かなと探しながら映画や小説を楽しむのもいいなと思った。


バーレスクには「反逆や風刺の精神、フェミニズム、自由への欲求、型にはまった美の基準への異議申し立てといった哲学」があるという話。わたしは映画「バーレスク」が好きで、日本によくある男向けのグラビアじゃない、こんな風にセクシーだけど下品じゃなくてかわいいけど強気でかっこよくて自分の体を自信たっぷりに披露するなんてことがあるのかと思って好きになったんだよね。だからフィギュアスケートでもシニアに上がり立てくらいの年齢の女子スケーターが使うのもいいなぁいいなぁと思って見てた。だから元々好きではあったけど、こんなに哲学のあるものだとは全然知らなかった。いいこと知れた。こんな哲学があるならぜひこれからも若い女の子に使って欲しいテーマだなあ。


・そういう意味では「サロメ」もそうかも。こんなに色々な解釈があるんだね。フィギュアスケートではミシェル・クワンくらいしか「サロメ」を使ったことのあるスケーターはわたしは思い浮かばないけど、有名なスケーターが使ったことのある有名なテーマにしては使われないものだなぁと思ってたんだよね。カルメンとかオペラ座の怪人とかは死ぬほどたくさん使われてるのに。


アガサ・クリスティの「ミス・マープル」もののドラマ作品に出てくるレズビアンカップルについて「ブッチ(男っぽい服装や立ち居振る舞いをするレズビアン)」と「フェム(女っぽいほう)」という描かれ方がしていたというのを知って、セーラームーンのはるかさんとみちるさんを思い出した。この二人はレズビアンカップル(ブッチとフェムの)なんだけど、「セーラームーン」が海外(アメリカ)で放送されたときは従姉妹同士という設定にされたんだよね…。イギリスではどうだったのかな?イギリスもキリスト教徒の多い国だけどアメリカとはまた事情が違うかな。セーラームーンアメリカで放送されたのは90年代、イギリスでこのドラマが放送されたのは(この本によると)2004年。国も時代も違うし片方は子供向けだから比較にはならないけど、つい並べてみてしまった。このドラマはアメリカで放送されたことあるのかな?あったとしたらこのドラマの二人はそのままレズビアンとして放送されたのかなぁ。だいぶ話が逸れちゃったけど、ちょっと気になったところだった。