藤野さんのことは「私と歴史学の不確かな関係」という早稲田大学の紀要に掲載された文章で知った。たしか、これまで早大にいた先生が東女へ行くことになったよ、という話を早大の知人から聞いた際、その知人から教えてもらったものだったと思う。おそらく大学一年生向けの講演か何かの時のスピーチ?を文章にしたもので、すごく読みやすい上にとても熱い文章なのでぜひ読んでみてほしい。
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藤野さんのことは「私と歴史学の不確かな関係」という早稲田大学の紀要に掲載された文章で知った。たしか、これまで早大にいた先生が東女へ行くことになったよ、という話を早大の知人から聞いた際、その知人から教えてもらったものだったと思う。おそらく大学一年生向けの講演か何かの時のスピーチ?を文章にしたもので、すごく読みやすい上にとても熱い文章なのでぜひ読んでみてほしい。
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「女性と長い関係を結んだ人文学の領域は、さまざまな権力関係の分析の対象として興味深いし、そうした関係性のただなかにおかれてきたことで、権力のレトリックを分析するそのスキルこそ、人文系で手に入れられる知性である。」*1
「取り上げる女性の多くは、得るべき教養を持って教えてくれる成功者ではない、学ぶ熱意が社会的評価にはつながらず、従って今に名を残さない普通の女性たちである。知らない人の残したしるしを辿ることは、偉人たちの事績よりもむしろよそよそしく感じられるかもしれない。だが、そこには、あなたによく似た彼女がいるはずである。」(「はじめに」より)*2
友人たちと一緒に「フェミニズム読史会(とくしかい)」という名前の読書会を立ち上げました。取り上げたのはSaebouさんこと北村紗衣さんの『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たちーー近世の観劇と読書』です。
読書会を開いた経緯は、学生時代の友人と「勉強したい」という話になったことからでした。二人とも元々歴史学を学んでおり、卒業後も何度か集まって読書会をしたことはあるのですが、なんとなく生活の忙しさで流れてしまっていました。そこで今度はモチベーションのために目標となるテーマを決めることにしました。
そんな感じで立ち上げたコンセプトが「フェミニズムをテーマにして歴史を学ぶこと」です。勉強するのは歴史だけど問題意識は今の自分たちに沿ったものがいいな、ということで二人の共通の関心事だったフェミニズムをテーマにしました。テーマがフェミニズム、手段が歴史学、みたいな感じです。(これは余談ですが、友人の専門が米国史、私がヨーロッパ・ロシア史だったので、コンセプトなしに読書会を開くだけだと選書が難しいなと思ったのも理由の一つです。)
ちなみに「読史会」という名前は、友人と私の出身大学にある某史学研究組織から拝借しました。「フェミニズム読書会」でも良かったのですが、現在のフェミニズムを学ぶだけなら他にいくらでも場所や機会がありますし、何より元史学徒としては「現在の問題を知るためには歴史を知らなければならない」と常々考えているので、「読書会」ではなく「読史会」として立ち上げました。
さて、『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』を選んだ理由は3点あります。一つには著者の北村紗衣さん自身がフェミニストであり、この本もフェミニズムの視点から研究されていたから。二点目は、最初から運動史や思想史を扱うよりは、もう少し自分たちの普段の生活や趣味に寄り添ってくれるようなテーマのほうがなんとなく読みやすいかなと思ったから。三点目は、読書会をやろうとしている自分たちにとってこの本は「自分たちの歴史」でもあり、自分たちの背中を押してくれるようなパワーのある本だな、と思ったからです。
参加してくれた仲間たちからも同様の感想がたくさん出てきました。
上記以外にもたくさんの感想が出てきたんですが、わたしのまとめ能力&メモ能力の不足により一部だけ簡単にご紹介しました。互いに「わかる〜〜!!!」と共感したくなるような感想がたくさん出てきて、すごく盛り上がったんですよ!読書会というよりなんとなく女子会のような雰囲気で、最終的にたぶん3時間くらいしゃべってました。本の感想だけでなく、誰かの感想から脱線して今のジェンダーの問題になったり、ジェンダーだけでなく民族問題や社会福祉も話題になったり、初対面の人同士なのに同じコミュニティにいたことが分かったり、一つの本から色々なトピックに話が及んだのも楽しかったです。
時節柄、オンラインでの会議になってしまったので正直うまくいくかどうか不安を抱えながらの開催だったのですが(わたし以外はほぼ全員が初対面でもあったので)、予想以上に盛り上がってものすごく充実した時間になりました。第2回の日程も早々に決まったので楽しみ。
以下はおまけ。読書会の話というよりは、自分が読んだときの感想。
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町田樹を思い出しながら読む『エデンの東』、ついに最終巻。
率直な感想としては「え…ここで終わり…?」だった。キャルはあの後どういう「選択」をするの?結局罪に打ち勝つことができたの??アブラはどうなるの?リーは??最終巻で一気に話が動いてあっという間に終わってしまったような感じ。この小説って続編ないんだよね??登場人物がその後どうなったのか教えてよ~~!!
すごく面白かったけど、ラストがあっという間だったことだけが不満。もうちょっとさぁ!!後日談とか!!余韻とか!!ねぇ!!!
町田樹のいうとおり、確かに「ティムシェル」は物語の根幹の概念だった。小説を通じて表現されているのは「カインとアベルの物語」ではなく「カインがティムシェルできる物語」だったのは分かった。でも想像していたほど「ティムシェル」そのものが描かれたわけじゃなかった。「ティムシェル」の意味は教えてくれたけど、実際にどうティムシェルするのかは教えてくれなかった。
物語を最後まで読み切る前に、文庫版に掲載されていた解説を読んだのがいけなかったのかな…それとも町田樹によってあらかじめ物語のテーマがティムシェルであると明かされていたのがいけなかったのかな…もしかしたら、ティムシェルが大事な言葉だってことを知らずに読んでいたら少し違う感想を持っていたのかもしれない。
とにかくアロンとキャルの兄弟がかわいそうすぎて…。アロンは愛され男子だったけど自分から父の愛を求めようとはしなかったから結局愛を受け取ることはなかったし、キャルだって父から愛されていたけど本人はそのことに気付かなかった。キャルは「アロンのほうが父(アダム)から愛されていた」と思っていたけど、アダムが明確に二人を差別している描写はなかったよね?アロンの大学進学を喜んではいたけど、そりゃ頑張って勉強した子を褒めるのは当然のことであって、それがキャルを愛していないということにはならないと思うんだけど。でもキャルには愛が伝わっていないんだから、それはキャルにとっては愛されていないのと同じだよね。だから現金なんてものを父親にプレゼントしようとしたんだけど…それはだめだよ…。おじいちゃんが孫にお小遣いあげるんじゃないんだから。。
でもトラスク家の物語を読むと「カインとアベルの物語」の神様の理不尽っぷりもなんとなく理解できた。カインの捧げもの(作物)を神様が拒否した明確な理由は聖書で述べられていないけど、きっとキャルが戦争を利用した先物取引で儲けたお金を父にプレゼントしたのと同じくらい罪深いことだったんだろうね。アベルは少ない稼ぎの中から頑張って羊の子を捧げたのかもしれないし、カインは「今年は豊作だったからご近所さんに配ろう」くらいのテンションで作物を捧げたのかもしれない。もしかしたら誰かをだまして手に入れた畑だったのかも?神様がカインの捧げものを喜ばず、その理由も本人に教えてあげなかったのは、「自分で考えなさい」という教育的メッセージだったのかもしれない。神様は古い価値観の人だから、そういうタイプの教育しかできなかったのかもしれない。そう考えると神様ってなんていうか人間っぽいよね。神様が人間に似てるんじゃなくて、人間が神様に似てる(「神は自らに似せて人をつくった」だから)んだけど。笑
そう考えるとアダムもひどいよね。死にかけだったから仕方ないけど、キャルがあまりにもかわいそうだったから、ティムシェルよりも「愛してる」って伝えてあげてほしかったな…
ラストがあまりにもあっという間だったこともあって、ちょっとまだ物語を呑み込めていないところがあるんだけど、すごく面白い小説だったので最後だけがちょっと納得いってない。もうちょっとゆっくりティムシェルを堪能したかったな~これだと第三巻でリーがティムシェルの意味を研究するところの方が詳しかった。
あとは他の登場人物について。
2020年1月に直木賞を受賞して知った作品。サハリンに来たポーランド人(ブロニスラフ・ピウスツキ)がアイヌと出会うなんてウィルク(『ゴールデンカムイ』より)*1じゃないか!!とテンションが上がって気になって読んだ。真っ先にウィルクが浮かんだのでてっきり「アイヌ」は女性かと勝手に勘違いしてたんだけど笑、「アイヌ」の方の主人公はヤヨマネクフという男性だった。そして私はてっきりブロニスラフとヤヨマネクフが出会って一緒に何かを成し遂げるのかと思ってたけど、二人が出会って共に過ごした時間は割と一瞬だったし、特に運命的で特別な友人というわけでもなかった。『ゴールデンカムイ』のように二人が手を取り合ってサハリンを独立させようとする話かなと(ものすごく勝手に)想像してた。
勝手に想像してたストーリーとは違ったけど、自分たちなりの方法で帝国主義に抵抗する二人の姿がすごく良かった。まだ全然感想がまとまらないんだけど、本全体を通じて何かを感じたというよりも、場面場面ですごく良い言葉がたくさん出てくるんだよね。小説を読んだというより、何年も連載が続いた漫画を読んだような気分。良いなと思う場面がたくさんあるけど、ありすぎてまとまらない、そんな感じ。笑
続きを読む第二巻を読んでからだいぶ時間が経ってしまった。年末には読み終えていたんだけどなんだかんだで遅くなってしまった。なので今回は短めに。
この巻でリーがめちゃくちゃ好きになった。2巻の時点ではサミュエルが大好きだったんだけど、リーが創世記第四章の1~16節―エホバがカインになぜ怒っているのかと尋ねるところ―が気になってリー一族の長老たちとヘブライ語を勉強したという話で一気にリーが好きになってしまった。聖書の翻訳の違いを知るためだけにヘブライ語を一から勉強して何年もかけて研究した、という研究への情熱!!めちゃくちゃ最高。このシーンすごく好きだった。リーたちの「研究と討論の夜」に私も参加してみたい!!
そして、このリー一族による聖書研究こそが、まさに”ティムシェル”が登場するシーンだった。
捧げもの(農作物)を神に拒絶されて憤ったカインに対して、神は「もし正しいことをしていないのなら、罪があなたを慕って待ち伏せしている」と言った。その続きの翻訳は、欽定訳と米国標準訳とで次のように変わる。
≪欽定訳聖書≫
汝は彼を治めん - カインが罪に打ち勝つという将来への約束
≪米国標準訳≫
汝は彼を治めよ - 約束ではなく命令
でもリーが研究したところによると、「ティムシェル」という言葉は「してよい」という「人間に選択を与える」言葉なのだそう。道は開かれていて、全ては人間次第。してもよいし、しなくてもよい。人間は自分の進む道を選び、そこを戦い抜いて勝利できる。
≪リーの解釈≫
カインは罪に打ち勝とうとしてもいいし、しなくてもいい。 - 選択を与える言葉
ここでようやく町田樹の「ティムシェル」の意味が分かった。
町田は「汝、治むるを能う(ティムシェル)」を「自分の運命は自分で切り開く」だと解釈した、と語っていたのだけど、彼の解釈はどうやらリーの解釈を基にしていたみたい。
ただ、町田樹が「ティムシェル」の訳として挙げた「能う」は、どちらかというと欽定訳の解釈だよね?「ティムシェル」とぐぐると「小説のラストに登場する言葉」と説明されていることが多いから、もしかしたら第四巻で解釈が深まるのかもしれない。
今回は「ティムシェル」の解釈についてのメモだけ。
もったいなくてゆっくり読んできたんだけど、もう残りあと4分の1しかない…さみしい…
つい先日(2019/11/17)たまたま全日本ジュニアフィギュアスケート選手権を見に行ったんだけど、男子シングルとして出場していた西山真瑚くんがFSで「エデンの東」を使用していた。自分が今読んでいるのでタイムリーな出会いに驚いたし、それ以上に彼の「エデンの東」があまりにもすばらしくてすごく感動した。高難度ジャンプを跳べるわけではないので上位の成績を残せたわけではなかったけど、表現力がすばらしかった。スケーティングもきれいだし、上半身の使い方がすごく上手い。無駄な動きが一切なくて、常に何かを表現しているような演技だった。これがジュニアなのかと本当に驚いた。このすばらしいスケーターは誰!?と思ったら、西山くんは現在アイスダンスとシングルの二刀流で競技大会に出場している選手だった。なるほどアイスダンスかあ。
このようにスケートのプログラムから物語に入ると、実際に原作の映画なり小説なりを見ると「えっ、こんな話だったの…?」とがっかりしてしまうことが私は少なくない。例えば「ミス・サイゴン」とか…。浅田真央の手にかかればオリエンタリズム×女性蔑視の物語である「蝶々夫人」だって「愛を信じる強い女性の姿」になるんですよ。話が逸れたけど、スケートのプログラムって映画の予告編みたいなもので、その物語の感動するところや良い要素だけを詰め込んだ総集編または同人誌みたいなものなんだよね。だから原作(?)を見てがっかりするのも、ある程度は仕方ないのかなと思う。
でも今のところ『エデンの東』はスケートのプログラムから得た感動をそのまま体験できそう。
『エデンの東』はカインとアベルの物語がテーマ?モチーフ?になっているらしい。今のところトラスク家の兄弟(アダムとチャールズ)がカインとアベルにあたるみたい。第2巻の終盤でサミュエル・ハミルトンとアダム・トラスク、そして使用人のリーがアダムの息子たちに名前をつけるシーンがすごく良かった。罪は先祖から送り伝えられたものと「言い訳」することでほっとした、というアダムの話にすごく共感した。
私も昔はキリスト教の教えである「原罪」というのに納得がいかなかったんだよね。なんで何も悪いことしてないのに生まれたときから罪深いなんて言われなきゃいけないんだと。でも今年の前半に三浦綾子を読んで彼女の「原罪」観に触れたおかげでちょっと理解できたような気がして、そしてまた『エデンの東』のおかげで理解が深まったような気がする。私たちは故意であるかどうかにかかわらず何かしらの罪を持っている可能性があるけれど、だからといってそれを悲観して人生を暗いまま過ごす必要はない。なぜなら、自分の背負っている罪は先祖から送り伝えられたものである(可能性がある)から。
まだ2巻なのでこれからどうなるのか分からないけれど、2巻でもうすでに私はすごく感動している。読んでよかった。折り返し地点に来てしまって悲しい。
そして当初理解したかった「ティムシェル」だけど、文庫本の巻末に掲載されている巽孝之氏の解説にそのヒントがあった。『エデンの東』とはカインとアベルに似た運命をたどる物語に見えるかもしれないけれど、最終的にスタインベックは「人間の側の選択可能性を模索することにより、聖書的価値体系を根本から転覆しようとしている」(344頁)らしい。まだ折り返し地点だから分からないけれど、これすごくティムシェル(自分の運命は自分で切り拓く)っぽくない?ここから物語がどんなふうに動いてティムシェルに繋がるのか楽しみ。
あとは細かいところ。
・私はサミュエル・ハミルトンめちゃくちゃ好き。頭が良く教養があって妻のこともよく理解していておしゃべりで、サミュエルと結婚したい。彼の容姿について言及した箇所ってあったかな?忘れちゃったけど、たぶんサミュエル・ハミルトンはイケメンだと思う。そして私も「無口の人間は賢い」より「言葉を持たぬ人間は考えを持たない」の方に一票かな。
・アダムの家で使用人をしているリーも好き。こういうキャラめっちゃ好き。教養があるキャラは基本的に好き。
・オリーブ・ハミルトンが飛行機に乗った話が面白かった。
以下おまけ。
それにしても今年は三浦綾子と『エデンの東』を通じてたまたまキリスト教文学(と呼んでいいのか分からないけど)に出会った年だった。宗教は自分が悩んだり苦しんだりしてるときにこそ心に響くものなので、だから人間と宗教はその人が必要としてるタイミングで自然と出会うものだと私は思ってる(悩んでいないときは心に響かないから出会わない)んだけど、そういう意味で今年は自分にとってキリスト教の教えと出会うべき年だったのかもしれない。私はクリスチャンではないけれど、たぶんそういうタイミングだったんだと思う。去年亡くなった祖父のお葬式はキリスト教の教会で出した(祖父はクリスチャンではないけど生前から祖父が希望してたらしい)ので、縁もあったのかな。