※この感想はネタバレを含みます。
「機動戦士ガンダム 水星の魔女」が最終回を迎えた。
このような「フェミニズムっぽい」感じで始まった物語だったので、
家父長制と戦ってくれるガンダムシリーズになってくれるのかなあ…とワクワクしながら見ていた。
でも結果として、物語開始当初に期待されていたほどには「打倒家父長制」的な結末にはならなかった。
だって、3人の親、なんかみんな甘やかされて終わったし。
グエル・ラウダ父は死んじゃったからどうしようもないけど、ミオリネ父とスレッタ母はちゃんと自分の娘に謝ったんだよね?
特にスレッタ母はさあ〜〜〜!2023年には存在してる「救世主ベビー」って言葉、あの世界では消えてちゃったのかな?
せっかく毒親が3人も出てきたアニメだったのに、その子どもが全員「親たちは形を間違えていたけど自分を愛してた」と受け止める結果になっちゃって本当に残念だった。
2023年なんだから、せめて一人くらい親捨ててもいいじゃん!!
だからグエルくんが家出した展開は好きだったんだけど…
なんで息子に父親を殺させるんだよバカー!!殺されるならもっと憎らしくなってよ!!最後まで抑圧クソおやじでいてよ!!なんで最後に「実は息子を心配してたパパ」って顔を見せるんだよー!!悪役はもっと気持ちよく殺されてよ!!!!!!
(あと、話それるけど、抑圧される側のアーシアンが「主人公サイドの敵」というポジションにされてたのも本当にどうかと思った。)
別に全ての物語がフェミニズム的である必要はないし、作品自体はめちゃくちゃ面白かったんだけど(ほぼ毎週リアタイしてた)、物語序盤で示された問題がすごく好みだったから期待しちゃってたんだよね…
作中で主人公のスレッタが「進めば二つ、逃げれば一つ」と示したけど、
「(別に家父長制批判する作品ではなかったという意味で)逃げたけど、(女性主人公・女性カップルにはしたし問題提起はしたという意味で)進もうとはした」ので一つは手に入った(一つしか手に入らなかった)…という感じなのかなあ。
スレッタとミオリネの関係性が「匂わせ」程度にとどまってしまったのも、Twitter見てるとけっこう批判されてるね。
いまだに同性婚ができないこの日本で、ガンダムのようなどメジャー作品で、”GL”とカテゴライズされていない作品で、「女性カップルの恋愛と結婚を真正面から描くこと」はすごく大事なことなのに、「水星」はそうしなかった。
批判されている内容はだいたいこんな感じかなと思う(わたしが見た限りでは)。
わたしも大筋ではそのあたりの批判に同意する。
(でも、ここは個人的にある意味ちょっと救われた部分でもあった。話それるので、詳しくは後述※)
だいたい感想はこんな感じ。
なんか消化不良だったな〜。残念。
面白かったけどね!!
2023/07/16追記
こないだ水星の魔女の一話を久しぶりに観てみたんだけど、やっぱり一話が一番良かったな…くそおやじから逃げ出そうとする女の子…有害な男性性を体現する男の子…その男の子から女の子を救い出す女の子…シスターフッドでありロマンス…完璧じゃんこの一話😭なんで最後ああなったんだ
— アズシク (@azusachka) 2023年7月15日
※「後述」部分
あらかじめ述べておくと、ほとんど「水星」関係ない話です。
結論から述べると、「スレッタとミオリネが恋愛関係にあると明確に描かれなかったのは批判されるべきだとは思うけど、そういう描かれ方のまま二人が家族になったのは、個人的には救いだった」という話。
わたし、ロマンティック・ラブ・イデオロギーがしんどいんだよね。
恋愛物のフィクションを楽しむのは大大大好きなんだけど、自分がするのは無理!
過去に人を好きになったことはあるから、自分はアロマンティックやアセクシュアルではないと思っていたんだけど、それも「人は誰かを好きになるもの」という固定観念があって、それに自分を当てはめるため「この人なら好きになれそう」という人を選んでいただけだったんじゃないか、と最近思うようになった。
そもそも、この10数年間、わたしは他人から性欲や恋愛感情を向けられるのがすごく苦手だった。そういうことをしたことはあるし、人と付き合ったことはあるけど、実をいうと「わたしのことを大して好きじゃない人がいいな」と思って選んでた。
一応、異性愛者ではなく同性愛者である可能性も検討してみたことはあるけど、でも同性にドキドキしたことは一度もないしたぶん違う。
ただ、恋愛はできなくても、(同性でも異性でもいいから)誰かとパートナーになって、ともに生活を営むことで人生を全うできるよう協力して生きてみたいなって気持ちはある。
(現実問題、わたしはバリキャリでもなんでもない普通の女なので、経済的問題からも誰かと一緒に生活したほうがいいだんろうな…と不安を覚えている)
でも、今の日本には、異性婚であれ同性婚であれ、結婚するには恋愛感情が必要だっていう考え方が浸透してる。(「逃げ恥」は契約結婚だったけど最終的には違うし…)
だからわたしはきっともう誰とも結婚できない。なぜなら恋愛できないから。
(男性相手なら法的な結婚ができるから友情結婚もできるかもしれないけど、「友情結婚できるくらい信頼できる男性」ってそれもう普通に好きってことじゃない?とも思うし…)
こんな悩みを持っていたので、スレッタとミオリネが明確な恋愛関係を提示しないまま家族になってたのはすごく良かった。好きだ愛してると言わない、キスもしないままだったけど、二人は家族になれた。
描かれていないところで色々してるかもしれないけど、少なくとも物語の中では描かれなかった。
まるで「パートナーとして生きる二人の関係性の起点が必ずしも恋愛である必要はないんだよ」って言ってくれてるみたいだった。
異性間は法律婚できるから友情結婚もできる。それなら同性間で友情結婚できたって良くない??
常々そう思ってたので、スレッタとミオリネもあんまり恋愛結婚ぽくないのは嬉しかったな。
まあ友情っていうのもなんか違う感じはするけども…
前に『同志少女よ、敵を撃て』の感想で「シスターフッドの延長線上にある百合が尊い」という主旨のことを書いたことがあるんだけど、その感情と近い気がする。同志少女読み返そうかな。
(追記:ブログには書いたことないけど、よしながふみの『大奥』の和宮&家茂カップルも好き!)
制作側が意図していなかった受け止めだろうけど、物語が作り手の意図を超えて誰かの救いになるのって普通によくあることだよね。わたしにとって「水星」はそういう物語になりました。
(前半に書いた通り、せっかく良い感じに物語が始まったのに終わり方微妙だった…というのは変わらないけどね。スレッタとミオリネの関係性については好みだったのよ)
追記:もちろんだけど、スレッタとミオリネが普通に恋愛してるカップルとして描かれたとしても喜ばしいとは思ってるよ!けして「わたしは同性愛のラブシーンを見たくない」と言ってるわけじゃないよ!