@AZUSACHKA 's note

わたしの感想をわたしが読みたい。

『氷結の森』感想 - マタギの谷垣を思い浮かべながら読んだ小説

知人にすすめられ、熊谷達也の小説『氷結の森』(2007年、集英社)を読んだ。
氷結の森 「森」シリーズ (集英社文庫)

氷結の森 「森」シリーズ (集英社文庫)

 
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『民衆暴力 - 一揆・暴動・虐殺の日本近代』感想 - 読むと逆にモヤモヤする誠実な本

藤野裕子さんという歴史研究者の本をずっと前から読んでみたいと思っていて、中公新書から8月に一般向けの本が発売されたので読んでみた。
民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代 (中公新書)
 

 藤野さんのことは「私と歴史学の不確かな関係」という早稲田大学の紀要に掲載された文章で知った。たしか、これまで早大にいた先生が東女へ行くことになったよ、という話を早大の知人から聞いた際、その知人から教えてもらったものだったと思う。おそらく大学一年生向けの講演か何かの時のスピーチ?を文章にしたもので、すごく読みやすい上にとても熱い文章なのでぜひ読んでみてほしい。

研究者はあまり自分の研究テーマ選びについて「自分の人生にとってどういう意味を持っているか」を語らない人が多い…というイメージを私は持っているんだけど(研究が自分本位のものだと思われる可能性もあるからなのかなあ…分かんないけど…)、でも私は、だからこそ、こういう「研究者が『なぜ自分はこのテーマを選んだのか』について語った文章」にすごくぐっときてしまう。藤野さんに教わったことはないけど、この文章で私は一気にファンになった。
 
話がそれたけど、本著は、その文章でも触れていた日比谷焼き討ち事件や関東大震災について一般向けに書かれている。日比谷焼き討ち事件に参加した男性労働者たちの動機を「男らしさ」という規範から説明したり、関東大震災時の朝鮮人虐殺については国家権力の関わり(単なる「民衆のレイシズム」というだけの問題ではない)に言及していたりと、個人的にタイムリーな視点もたくさんあってとても面白かった。特に朝鮮人虐殺のことは何かの形でちゃんと文章を読んで勉強しなきゃいけないとも思っていたので、この機会に読めて良かった。
 
ただ、誤解を恐れずに言えば、すごく分かりやすいはずの文章なのに、読むと「逆に分からなくなる」というタイプのものだと思う。それはこの本自体が「民衆の暴力」を単純化してはいけない、と述べているから。
貧富の格差の拡大に対して支配者が有効な手立てを打たなかったから起きた一揆もあれば、朝鮮人虐殺は「朝鮮人の命を奪うことが罹災者の支援に繋がる」という義侠心も背景の一つだった、等「暴力」の多様な背景を説明しているので、最終的に「つまり暴力とは…?」みたいになる。だから読むと逆にモヤモヤする。
でもどんな歴史でも簡単に単純に意味を定義できるものなんてなくて、むしろ「〇〇は〜〜だ!」のように言い切る形で述べるようなものは警戒するべきなんだよね。だからこれはすごく誠実な本だなと思った。なんでも分かりやすくすることだけが全てじゃないから。
 
あと、冒頭で藤野さんの「私と歴史学の不確かな関係」を紹介したけど、〈自分自身の動機に基づいて研究すること〉と〈史実に基づいて歴史の本を書くこと〉はけして対立することじゃないんだな、ちゃんと両立するんだな、とも思った。かっこいい。
 
あ、ただ、誤解を与えそうなので最後に付け加えると、本としてはものすごく読みやすいですよ!!私はこういう本を読むときにメモを取りながら読むんですが、とてもメモが取りやすい(大意を読み取りやすい)本でした。おすすめです〜
 
 

『夢みる教養 - 文系女性のための知的生き方史』感想。とくに人文系の学問を学んできた女性たちへ

小平麻衣子『夢みる教養 - 文系女性のための知的生き方史』(河出書房新社、2016年)
夢みる教養:文系女性のための知的生き方史 (河出ブックス)

夢みる教養:文系女性のための知的生き方史 (河出ブックス)

  • 作者:小平 麻衣子
  • 発売日: 2016/09/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 春から続けているフェミニズム読史会フェミニズムに関係する歴史学の本を読む読書会)で、なにか日本の女性史で面白いものはないかな…と探していたときに図書館でなんとなく手にとった本。

フェミニズム史というよりは抑圧の歴史かも?会のメンバーの好みとはちょっと違うかもな〜と予想しながら読んでみたのだけど、良い意味で予想を裏切られた。タイトルの「夢みる」というかわいい言葉とは裏腹に、読んでいるだけで腹ただしくなってくるほどの抑圧と女性差別の歴史であり、そして作者からのエンパワーメントに満ちた本だった。
タイトルには「文系女性のための」と書いてあるけれど、わたしの個人的な願いをいえば、特に人文系の学問を学んできた女性たちに読んでみてほしい。ただ、これは全ての女性のための歴史だとも思う。
 
ちょっと恥ずかしいけど白状すると、読みながら悔しくて泣き、「おわりに」で筆者の言葉に感動して泣いた。学術書籍で泣いたのはたぶん生まれて初めてだと思う。
 

要約・内容紹介

明治時代から現代にかけての「教養」と「女性」の関係について書かれた本。そもそも日本における「教養」とは旧制高等学校に通うエリートたちが自らの人格や人間力の基礎を高めるために得ようとしたものであり、内容は哲学や文学などの人文系学問を指していた。しかし、女性に求められる「教養」は意味が異なっていた。女性が身につけるべき「教養」は音楽や絵画、文学などとされ、それはつまり「鑑賞されるもの」としての素養であった。女性に「教養」は必要であるけれど、その「教養」は女性たちが職業婦人として自立できるようなレベルのものであってはならないし、もちろん男性のレベルを超えてはならない。時代によって「教養」の意味する内容は変化したものの、女性にとっての「教養」とは常に抑圧とセットのものだった。現代では「女性は文系が向いている/得意」だと言われることも多いが、そのようなラベルが生まれる背景には教養をめぐる抑圧的な構造が大きく関係していた。
 
「女性と長い関係を結んだ人文学の領域は、さまざまな権力関係の分析の対象として興味深いし、そうした関係性のただなかにおかれてきたことで、権力のレトリックを分析するそのスキルこそ、人文系で手に入れられる知性である。」*1
これはフェミニズムの本ではなく(※広い目でみればもちろんフェミニズムのための本なんだけど、フェミニズムの名前を掲げた本ではない、というくらいの意味)女性史の本なのだけど、「おわりに」に筆者からのメッセージが強く込められていた。
これは女性が抑圧されてきた歴史を著した本ではあるけれど、そのような領域(歴史学という人文系の学問=「女性が向いている」と言われがちな分野←それは抑圧)を学んで得られるのが「人文系で手にいられれる知性(=目の前のできごとや制度を批判する力)」である。(私なりの要約)
これすごい熱いメッセージじゃないですか??フェミニストとしてのメッセージだよとはどこにも書いてないけど、すごくフェミニズムっぽいメッセージだなと私は思った。女性の抑圧と切り離せないものなので、その構造は批判しなきゃいけないけれど、同時に抑圧に抵抗するための力にもなるんだ。
ほぼ文系の学部しかない(理系で存在するのは数理学科だけ)という典型的な女子大で人文系の学問(歴史学)を学んでいた私にとっては、私のこと知ってるの??っていうくらい励まされました。そっか、私ちゃんと大事なこと学んでたんだ、みたいな。
 
フェミニズムに関心をもってジェンダー史の本を手にとるようになり、読書会をやるようになったはいいものの、選書は毎回悩ましかった。
どうしても女性史は「抑圧の歴史」になりがちなので、研究ではなく自分の人生のために読むなら”なるべく自分に力を与えてくれるようなもの”がいいなと思っていた。それで、これまでは「抑圧」よりも「抵抗」に着目して本を選んできたのだけど、それだけじゃ本選びがちょっと大変だったし、テーマや感想もかぶりがちだった。
でも、まずは自分たちが置かれている構造を把握しないと、正しく怒ることもできないんだね。
 
文系、なかでも特に人文系の学部を出た女性たちにぜひ読んでみてほしい本です。めちゃくちゃ励まされるから。
「取り上げる女性の多くは、得るべき教養を持って教えてくれる成功者ではない、学ぶ熱意が社会的評価にはつながらず、従って今に名を残さない普通の女性たちである。知らない人の残したしるしを辿ることは、偉人たちの事績よりもむしろよそよそしく感じられるかもしれない。だが、そこには、あなたによく似た彼女がいるはずである。」(「はじめに」より)*2
 

  
以下、細かい部分の感想。読んだことある人向け。

*1:184頁

*2:12頁

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『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』で読書会を開きました

友人たちと一緒に「フェミニズム読史会(とくしかい)」という名前の読書会を立ち上げました。取り上げたのはSaebouさんこと北村紗衣さんの『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たちーー近世の観劇と読書』です。

 読書会を開いた経緯は、学生時代の友人と「勉強したい」という話になったことからでした。二人とも元々歴史学を学んでおり、卒業後も何度か集まって読書会をしたことはあるのですが、なんとなく生活の忙しさで流れてしまっていました。そこで今度はモチベーションのために目標となるテーマを決めることにしました。

 そんな感じで立ち上げたコンセプトが「フェミニズムをテーマにして歴史を学ぶこと」です。勉強するのは歴史だけど問題意識は今の自分たちに沿ったものがいいな、ということで二人の共通の関心事だったフェミニズムをテーマにしました。テーマがフェミニズム、手段が歴史学、みたいな感じです。(これは余談ですが、友人の専門が米国史、私がヨーロッパ・ロシア史だったので、コンセプトなしに読書会を開くだけだと選書が難しいなと思ったのも理由の一つです。)

 ちなみに「読史会」という名前は、友人と私の出身大学にある某史学研究組織から拝借しました。「フェミニズム読書会」でも良かったのですが、現在のフェミニズムを学ぶだけなら他にいくらでも場所や機会がありますし、何より元史学徒としては「現在の問題を知るためには歴史を知らなければならない」と常々考えているので、「読書会」ではなく「読史会」として立ち上げました。

 

 さて、『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』を選んだ理由は3点あります。一つには著者の北村紗衣さん自身がフェミニストであり、この本もフェミニズムの視点から研究されていたから。二点目は、最初から運動史や思想史を扱うよりは、もう少し自分たちの普段の生活や趣味に寄り添ってくれるようなテーマのほうがなんとなく読みやすいかなと思ったから。三点目は、読書会をやろうとしている自分たちにとってこの本は「自分たちの歴史」でもあり、自分たちの背中を押してくれるようなパワーのある本だな、と思ったからです。

 

参加してくれた仲間たちからも同様の感想がたくさん出てきました。

  • 子育てをしていると男性主導の社会に自分が置かれていることを強く感じるので、女性の歴史が「なかったこと」にされていたことは「今でも起きていること」だと感じた。
  • 芝居に対する女性の評価は男性よりも甘いというステレオタイプがあり、女性の評価が甘く見られていたのは昔からのことだったというのが印象的だった。
  • 今よりもさらに女性が生きづらい社会において、観劇によって女性が「欲望する主体」になり、さらに読書や観劇といった受動的な行為は積極的な楽しさの追求なのだと著者が言ってくれたことに励まされた。
  • 演劇に関わる人間はみんなシェイクスピアから何かしらの影響を受けている。その正典化のプロセスにおいて女性たちの存在が重要だったことが新鮮だった。
  • 公的な文書や手紙などの「文章」以外のもの、「読む」という行為から歴史を研究していたのが面白かった。
  • ”全ての女性オタクに捧げる本”だと思った

 

 上記以外にもたくさんの感想が出てきたんですが、わたしのまとめ能力&メモ能力の不足により一部だけ簡単にご紹介しました。互いに「わかる〜〜!!!」と共感したくなるような感想がたくさん出てきて、すごく盛り上がったんですよ!読書会というよりなんとなく女子会のような雰囲気で、最終的にたぶん3時間くらいしゃべってました。本の感想だけでなく、誰かの感想から脱線して今のジェンダーの問題になったり、ジェンダーだけでなく民族問題や社会福祉も話題になったり、初対面の人同士なのに同じコミュニティにいたことが分かったり、一つの本から色々なトピックに話が及んだのも楽しかったです。

  時節柄、オンラインでの会議になってしまったので正直うまくいくかどうか不安を抱えながらの開催だったのですが(わたし以外はほぼ全員が初対面でもあったので)、予想以上に盛り上がってものすごく充実した時間になりました。第2回の日程も早々に決まったので楽しみ。

 

以下はおまけ。読書会の話というよりは、自分が読んだときの感想。

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【読書】町田樹の「ティムシェル」を理解したくて、6年越しで『エデンの東』を読み始めてみた(4/4)

 

 

町田樹を思い出しながら読む『エデンの東』、ついに最終巻。
率直な感想としては「え…ここで終わり…?」だった。キャルはあの後どういう「選択」をするの?結局罪に打ち勝つことができたの??アブラはどうなるの?リーは??最終巻で一気に話が動いてあっという間に終わってしまったような感じ。この小説って続編ないんだよね??登場人物がその後どうなったのか教えてよ~~!!
すごく面白かったけど、ラストがあっという間だったことだけが不満。もうちょっとさぁ!!後日談とか!!余韻とか!!ねぇ!!!

 

町田樹のいうとおり、確かに「ティムシェル」は物語の根幹の概念だった。小説を通じて表現されているのは「カインとアベルの物語」ではなく「カインがティムシェルできる物語」だったのは分かった。でも想像していたほど「ティムシェル」そのものが描かれたわけじゃなかった。「ティムシェル」の意味は教えてくれたけど、実際にどうティムシェルするのかは教えてくれなかった。

物語を最後まで読み切る前に、文庫版に掲載されていた解説を読んだのがいけなかったのかな…それとも町田樹によってあらかじめ物語のテーマがティムシェルであると明かされていたのがいけなかったのかな…もしかしたら、ティムシェルが大事な言葉だってことを知らずに読んでいたら少し違う感想を持っていたのかもしれない。

 

とにかくアロンとキャルの兄弟がかわいそうすぎて…。アロンは愛され男子だったけど自分から父の愛を求めようとはしなかったから結局愛を受け取ることはなかったし、キャルだって父から愛されていたけど本人はそのことに気付かなかった。キャルは「アロンのほうが父(アダム)から愛されていた」と思っていたけど、アダムが明確に二人を差別している描写はなかったよね?アロンの大学進学を喜んではいたけど、そりゃ頑張って勉強した子を褒めるのは当然のことであって、それがキャルを愛していないということにはならないと思うんだけど。でもキャルには愛が伝わっていないんだから、それはキャルにとっては愛されていないのと同じだよね。だから現金なんてものを父親にプレゼントしようとしたんだけど…それはだめだよ…。おじいちゃんが孫にお小遣いあげるんじゃないんだから。。

 

でもトラスク家の物語を読むと「カインとアベルの物語」の神様の理不尽っぷりもなんとなく理解できた。カインの捧げもの(作物)を神様が拒否した明確な理由は聖書で述べられていないけど、きっとキャルが戦争を利用した先物取引で儲けたお金を父にプレゼントしたのと同じくらい罪深いことだったんだろうね。アベルは少ない稼ぎの中から頑張って羊の子を捧げたのかもしれないし、カインは「今年は豊作だったからご近所さんに配ろう」くらいのテンションで作物を捧げたのかもしれない。もしかしたら誰かをだまして手に入れた畑だったのかも?神様がカインの捧げものを喜ばず、その理由も本人に教えてあげなかったのは、「自分で考えなさい」という教育的メッセージだったのかもしれない。神様は古い価値観の人だから、そういうタイプの教育しかできなかったのかもしれない。そう考えると神様ってなんていうか人間っぽいよね。神様が人間に似てるんじゃなくて、人間が神様に似てる(「神は自らに似せて人をつくった」だから)んだけど。笑

 

そう考えるとアダムもひどいよね。死にかけだったから仕方ないけど、キャルがあまりにもかわいそうだったから、ティムシェルよりも「愛してる」って伝えてあげてほしかったな…

ラストがあまりにもあっという間だったこともあって、ちょっとまだ物語を呑み込めていないところがあるんだけど、すごく面白い小説だったので最後だけがちょっと納得いってない。もうちょっとゆっくりティムシェルを堪能したかったな~これだと第三巻でリーがティムシェルの意味を研究するところの方が詳しかった。


あとは他の登場人物について。

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【読書】川越宗一『熱源』(文藝春秋、2019年) - ポーランド人とアイヌ人がそれぞれ帝国主義に抵抗する話(ネタバレ有)

 

【第162回 直木賞受賞作】熱源

【第162回 直木賞受賞作】熱源

 

 

2020年1月に直木賞を受賞して知った作品。サハリンに来たポーランド人(ブロニスラフ・ピウスツキ)がアイヌと出会うなんてウィルク(『ゴールデンカムイ』より)*1じゃないか!!とテンションが上がって気になって読んだ。真っ先にウィルクが浮かんだのでてっきり「アイヌ」は女性かと勝手に勘違いしてたんだけど笑、「アイヌ」の方の主人公はヤヨマネクフという男性だった。そして私はてっきりブロニスラフとヤヨマネクフが出会って一緒に何かを成し遂げるのかと思ってたけど、二人が出会って共に過ごした時間は割と一瞬だったし、特に運命的で特別な友人というわけでもなかった。『ゴールデンカムイ』のように二人が手を取り合ってサハリンを独立させようとする話かなと(ものすごく勝手に)想像してた。

勝手に想像してたストーリーとは違ったけど、自分たちなりの方法で帝国主義に抵抗する二人の姿がすごく良かった。まだ全然感想がまとまらないんだけど、本全体を通じて何かを感じたというよりも、場面場面ですごく良い言葉がたくさん出てくるんだよね。小説を読んだというより、何年も連載が続いた漫画を読んだような気分。良いなと思う場面がたくさんあるけど、ありすぎてまとまらない、そんな感じ。笑

*1:主人公の一人・アシリパさんの父親で、ポーランド人の父と樺太アイヌの母の間に生まれた

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【読書】町田樹の「ティムシェル」を理解したくて、6年越しで『エデンの東』を読み始めてみた(3/4)

第二巻を読んでからだいぶ時間が経ってしまった。年末には読み終えていたんだけどなんだかんだで遅くなってしまった。なので今回は短めに。

 

この巻でリーがめちゃくちゃ好きになった。2巻の時点ではサミュエルが大好きだったんだけど、リーが創世記第四章の1~16節―エホバがカインになぜ怒っているのかと尋ねるところ―が気になってリー一族の長老たちとヘブライ語を勉強したという話で一気にリーが好きになってしまった。聖書の翻訳の違いを知るためだけにヘブライ語を一から勉強して何年もかけて研究した、という研究への情熱!!めちゃくちゃ最高。このシーンすごく好きだった。リーたちの「研究と討論の夜」に私も参加してみたい!!

 

そして、このリー一族による聖書研究こそが、まさに”ティムシェル”が登場するシーンだった。

捧げもの(農作物)を神に拒絶されて憤ったカインに対して、神は「もし正しいことをしていないのなら、罪があなたを慕って待ち伏せしている」と言った。その続きの翻訳は、欽定訳と米国標準訳とで次のように変わる。

欽定訳聖書
 汝は彼を治めん - カインが罪に打ち勝つという将来への約束
≪米国標準訳≫
 汝は彼を治めよ - 約束ではなく命令


でもリーが研究したところによると、「ティムシェル」という言葉は「してよい」という「人間に選択を与える」言葉なのだそう。道は開かれていて、全ては人間次第。してもよいし、しなくてもよい。人間は自分の進む道を選び、そこを戦い抜いて勝利できる。

≪リーの解釈≫
 カインは罪に打ち勝とうとしてもいいし、しなくてもいい。 - 選択を与える言葉


ここでようやく町田樹の「ティムシェル」の意味が分かった。
町田は「汝、治むるを能う(ティムシェル)」を「自分の運命は自分で切り開く」だと解釈した、と語っていたのだけど、彼の解釈はどうやらリーの解釈を基にしていたみたい。

ただ、町田樹が「ティムシェル」の訳として挙げた「能う」は、どちらかというと欽定訳の解釈だよね?「ティムシェル」とぐぐると「小説のラストに登場する言葉」と説明されていることが多いから、もしかしたら第四巻で解釈が深まるのかもしれない。


今回は「ティムシェル」の解釈についてのメモだけ。
もったいなくてゆっくり読んできたんだけど、もう残りあと4分の1しかない…さみしい…